八幡神社(新井形) – 新井形の地名の由来
八幡神社(新井形)は、蒲郡市新井形町新井、県道73号線(三河湾オレンジロード)と新幹線高架の近くに静かに鎮座しています。
集落と一体化した神社の姿
八幡神社(新井形)は集落に溶け込んでおり、そして境内と民家の境が分かりにくいのが特徴です。
社殿の現状
拝殿は新井形集会所を兼ねて利用されており、その北側に神殿が位置します。鳥居は民家の玄関先に近い場所に建っています。
改築の歴史
鳥居には「昭和40年(1965年)4月建之」とあります。また『蒲郡町誌』(1973年)には「現今の拝殿は明治14年(1881年)5月の修築。」と記されています。これらの記録から、神社は明治以降に拝殿の大規模な改築や、昭和期に境内の構成が大きく変化したことが推測されます。
鵜殿氏と領主の崇敬
『愛知県神社名鑑』には、戦国時代末期にこの地と関わりのあった歴史が記されています。
鵜殿氏との関係
天正・慶長の頃(1573年~1619年)、鵜殿藤太郎が新井形に滞在した際、武運長久を祈願したと伝えられています。「藤太郎」は、上ノ郷(かみのごう)鵜殿氏の当主が代々名乗った名前です。ただ、上ノ郷城落城は永禄5年(1562年)、当主鵜殿藤太郎長照の時でした。
徳川時代の崇敬
徳川時代に入ってからも、この地域の領主であった桑嶋三郎左ヱ門が八幡神社(新井形)を崇敬していた記録が残っています。
「新井形」の地名と旧街道の要所
かつて「荒井」と記された新井形という地名は、『蒲郡史談』によると、「荒れた土地を切り開いて、新たに耕地や住宅地をつくったところ」という意味が由来とされています。また、「荒磯潟(あらいそがた)の転訛」という説は、漢字からの誤った解釈として否定されています。
また、この八幡神社は、かつての主要道路沿いに位置していたことが、古地図から分かります。
明治23年(1890年)測図の地図によると、神社の東の道は神社の角で北に折れ、墓地を右折し、平田町の薬師寺山門前へ通じていました。さらに西田川を渡ると、右は三谷、左は国坂街道(主要街道)という重要な交差点でした。
八幡神社は、現代では静かな住宅地に溶け込んでいますが、かつては主要街道の要所であり、歴史を感じられる場所です。
- 御祭神 応神天皇
- 例祭日 10月第3土曜日
八幡神社(新井形)の画像





