赤日子神社 – 奇異なる氏子現象
赤日子(あかひこ)神社は、蒲郡市神ノ郷町森に鎮座し、上ノ郷城址や赤日子遺跡といった歴史的遺構が残る中心地に位置しています。その歴史は古く、7世紀以前には既に存在していたと伝えられる延喜式内社です。
(延喜式内社とは、平安時代に編纂された法令集『延喜式』の「神名帳」に記載されている、格式の高い神社のことです。)
祭神と「海幸山幸」の神話
赤日子神社の御祭神は、以下の三柱の神々です。
- 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
- 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
- 豊玉比古命(とよたまひこのみこと)
これらの神々は、「海幸山幸(うみさちやまさち)」の神話で知られています。
彦火火出見命は、邇々芸命(ににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)の間に生まれた神で、「山幸彦」として登場します。
豊玉姫命は、海神(わたつみ)の娘であり、竜宮に赴いた山幸彦と結ばれます。
神話では、豊玉姫命は出産に際して「決して覗き見ないように」と山幸彦に忠告します。しかし、山幸彦がその約束を破って見てしまい、豊玉姫命は激怒し、海に帰ってしまいます。この出来事以来、海と人々の住む山との間は、自由に行き来できない場所になったと語られています。
安曇族と赤日子神社
この異民族間の結婚をした二柱の神と、その間に生まれた子である豊玉比古命を祀るのが、赤日子神社です。
また、豊玉比古命は安曇連(あずみむらじ)の祖神であることから、一説には、九州の福岡・宗像(むなかた)からこの地へ上陸した安曇族が、赤日子神社を創建したとも伝えられています。
地域の氏子と熊野勢力の関係
その後、熊野(くまの)一族がこの地へ上陸し、勢力を拡大していく過程で、『神社を中心とする宝飯郡誌』が指摘する「奇異なる氏子現象」が起きます。
これは、神社の鎮座地と、その神社の氏子が住む地域が一致しないという、特異な現象を指します。
例えば、赤日子神社は上ノ郷地域に鎮座していますが、上ノ郷の人々の氏神は、南に離れた大宮神社です。
逆に、赤日子神社の氏子は、北隣の清田町の人々となっています。
この現象について、『蒲郡市誌』は『神社を中心としたる宝飯郡誌』を引き、その原因を次のように説明しています。「犬飼湊(いぬかいみなと)から上陸した熊野勢が、大宮神社を中心に拠点を構え」、水田を求めて北上した結果、もともと住んでいた住民が北へと追いやられた(「押し出された」)ためであるとしています。
熊野一族はさらに坂本まで北上し、最終的にこの神ノ郷の地は、彼らの末裔と言われる鵜殿氏が城を築き、治めることになります。
赤日子神社にまつわるこれらの出来事は、民族の壮大な大移動の歴史と、人々の定着と暮らしという日常が、神の存在を通して交差する、奥深い歴史の物語を伝えています。
聖山の奥宮と兼京神陵
聖山山頂に鎮座する磐座が奥宮です。お皿様とも呼ばれ、「たにし」をお供えします。(『蒲郡風土記』では「松明を供える」との記述もあります)お皿様・聖山 – 蒲郡の旅
また、神ノ郷町兼京には「赤彦神社御陵」があります。そして、赤日子神社の元宮(兼京神陵)と言われます。
- 御祭神 彦火火出見命 豊玉姫命 豊玉比古命
- 例祭日 10月第1日曜日
赤日子神社の画像








