八幡社(竹谷)- 竹谷陣屋跡

八幡社(竹谷)は、蒲郡市竹谷町新井の旧街道である平坂街道沿いに静かに鎮座しています。創建の正確な年は不詳とされていますが、社伝では建久2年(1191年)と伝えられる古社です。

旗本領主と代官の崇敬

かつてこの地には竹谷陣屋が置かれていました。八幡社(竹谷)は領主であった竹本九八郎や富松五兵衛、そして代官の鈴木弥兵衛といった支配者層から篤い崇敬を受けてきました。

当時の竹谷村は、西尾藩に加え、竹本家、桑島家、富松家、林家の4つの旗本家が領地を分割して治めていました。

竹本家

竹本家は、紀州家の家臣で、享保3年(1718年)竹本久八郎正綱が、400石で旗本になります。そして、柏原、戸金、形原、竹谷の領主でした。なお、竹本九八郎の祖先は三河国の出身で、徳川頼宣について紀州へと移ったと言われます。

富松家

富松家も代々紀州藩の家臣で、富松喜太郎が享保3年(1718年)に、竹谷村で388石、鹿島村で329石余の領主になりました。

日本の政治史につながる八幡社

代官鈴木弥兵衛と茂三郎

八幡社と特に関係が深いのは、竹本九八郎の代官を務めた鈴木弥兵衛の一族です。

三代目の鈴木弥兵衛信勝は、組頭から庄屋となり、代官を任命された人物です。この鈴木弥兵衛の子孫こそが、戦後日本の政治を動かした日本社会党委員長・鈴木茂三郎です。

茂三郎の父は七代目鈴木弥兵衛信兼の三男である弥右衛門です。茂三郎はその四男にあたります。彼が生まれたとされる生家は、この八幡社(竹谷)に隣接しています。

八幡社が単なる地域の信仰の場所ではなく、竹谷を動かした支配者層から、ひいては日本の政治を動かした人物へと続く、深い歴史的な結節点であったことを物語っています。

愛知県中世城館跡調査報告 3(東三河地区) – 国立国会図書館
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館
伊能忠敬の蒲郡測量とその周辺 – 国立国会図書館

  • 御祭神 品陀別気命(ほんだわけのみこと)
  • 例祭日 4月第2日曜日

八幡社(竹谷)の画像

八幡社(竹谷)の地図・行き方

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