林光寺 – 形原一家の碑と任侠の碑
林光寺は、蒲郡市形原町中屋敷の県道沿いに位置する浄土真宗大谷派の寺院です。山号は龍燈山。
林光寺の由緒と歴史
『蒲郡史談』には、龍燈山林光寺の由緒として、以下のような記述がみられます。
祖先は天児屋根の命で、その後裔関白繞光の末孫中臣弁海、大和の人であるが、岩穴に住んで、顕信のとき(推古天皇の御宇)太子が矢作から来て、七日間足を留めている間に、帰依してウバソクとなった。
欽明天皇十五年正月一日紫雲現るるによって、一宇を建てて雲顕院と名付けた。
その後、後円融天皇の時、竜神が現れて、灯りを掲げて林中一面に輝いたので、その時から龍燈山林光寺と名を改めた。
承久二年に改宗したが、台真二宗を兼ねていたのであるが、寛永二年に純粋真宗一宗の寺となったとしてあります。
由緒の要点整理と歴史的背景
この由緒は、仏教の最初期から近世に至る長い歴史を語る一方で、時代背景に大きな矛盾や飛躍が見られます。以下、まとめてみました。
起源と聖徳太子
由緒の記述と時代:中臣弁海が推古天皇の時代(593年~628年)に聖徳太子に帰依。最初の寺「雲顕院」は欽明天皇15年(553年頃)に創建。
- 歴史的な補足:弁海の祖先とされる「関白」の役職は、この時代(飛鳥時代)から数百年後に成立しており、由緒は寺の権威を示す伝説的な性格が強い。
寺号の由来
由緒の記述と時代:後円融天皇の時代(1371年~1382年)に竜神の霊験により「龍燈山林光寺」に改名。
- 歴史的な補足:創建から改名まで約750年の大きな時間的な飛躍がある。
宗派の確立
由緒の記述と時代:承久2年(1220年)に天台宗と真宗などを兼ねた後、寛永2年(1625年)に浄土真宗一宗の寺として確立した。
- 歴史的な補足:宗派が中世から近世にかけて定着していった経緯を示す。
ややこしいですね…。また、『蒲郡史談』の伊藤天章師も指摘されていますが、「一般寺院としては珍しい由縁によって、たてられた寺で、やはり春日社に関連するものかも知れぬ」のでしょう。
地元の歴史と任侠の碑
天児屋根命の後裔と守り三神
「天児屋根命の後裔」という祖先の記述は、鞍掛秋葉神社境内に祀られる「守り三神」の祖先(藤原千方、中臣春国女、藤原義氏)とも共通するものであり、地元の有力者である牧原又兵衛家の先祖とも関連します。また、中臣春国女は松平与副の生母にあたり、林光寺の由緒は地元の複雑な歴史と深く結びついています。
この歴史ある林光寺は、県道から続く参道、山門、本堂と美しい佇まいを見せています。
形原一家之碑と任侠
また、境内裏の墓地には、地元の任侠の歴史を伝える「形原一家之碑」と「任侠」の碑が建っています。この「形原一家之碑」は、小説家尾崎士郎の書によるものです。碑の裏には、初代市川斧八から五代目までの名前と法名が刻まれています。
初代斧八は、あの清水次郎長の兄弟分として小説や浪曲、講談に登場する人物です。特に「黒駒勝蔵・平井一家襲撃事件」では、形原港から船で前芝へと渡ったことが知られ、また『次郎長三国志』では、雲風一家が斧八を襲撃するシーンで天神川に上陸する描写があります。ただし、斧八、与四郎(與四郎)の実際の墓所は、当地ではなく市場地蔵堂のある墓地にあります。
- 寺号 龍燈山 林光寺
- 本尊 阿弥陀如来
- 宗派 浄土真宗大谷派
- 創建 寛永13年(1636年) 慶西
林光寺の画像






地図・行き方
参考文献
