蒲郡市・補陀寺:聖武天皇の祈りからあじさいの里へ

蒲郡市金平町寺中三ヶ根山の緩やかな山裾に抱かれるように佇む補陀寺(ほだじ)。形原温泉湧出の奇跡を伝える「温泉湧出の碑」を境内に宿すこの古刹は、遥か一千年以上も前から、この地の歴史と人々の祈りを見つめ続けてきました。

行基の彫刻と聖武天皇の平癒祈願

補陀寺の起源は、遠く奈良時代の神亀3年(726年)にまで遡ります。もとは名高き鳳来寺にあった天台宗・藤本院の末坊であったと伝えられています。

境内の沿革碑によると、高僧・行基が諸国を巡る旅の途中、この三河の地で聖武天皇のご不例(病気)を耳にしました。憂いた行基石巻山の神木を用いて一尊の観音像を刻み、現在の金平町の山中(禅沢)に安置して天皇の平癒を深く祈願したのが始まりとされています。この観音像は、豊橋市東観音寺の本尊と「同木同彫(同じ一本の木から彫られたもの)」という、神秘的な絆で結ばれています。

戦国を越え、曹洞宗の名刹へ

時代は下り、江戸初期の元和3年(1617年)、歴史は再び動き出します。新城の大洞山 泉龍院の徒弟であった班竹筍公がこの地へ修行に訪れました。時を同じくして、松平広忠の家臣である松井源之助左近が、亡き父母の菩提を弔うために一寺の建立を発願。これにより補陀寺の開基となり、のちに傾徳暉堂慧禅師を招聘して開山を迎え、現在の宗派である曹洞宗の「円通山 補陀寺」へと改称されました。

廃仏毀釈の嵐を逃れた、県指定の至宝

寺には、行基作と伝わる馬頭観音立像薬師如来立像が安置されており、いずれも愛知県指定文化財という極めて貴重な至宝です。

特に薬師如来像は、明治の廃仏毀釈という狂乱の嵐を乗り越えた、数奇な運命を持っています。現在の豊川市御津町赤根の篤志家・今泉唐左衛門が、伊勢の地で散逸の危機にあった4体の仏像を譲り受け、守り抜いたうちの1体なのです。なお、このとき同時に救われた仏像には、同じく御津の法住寺が誇る国指定重要文化財の千手観音像や、入覚寺の聖徳太子像が含まれており、歴史の荒波から守られた奇跡の繋がりを今に伝えています。

華やかな花街の記憶と、現代を彩るあじさい寺

かつてこの金平地区には、芸者衆が行き交う置屋や風情ある料理旅館が軒を連ね、温泉街特有の華やかな花街として大変な賑わいを見せていました。

時代の変遷とともに街の形態は変わり、現在の金平地区は、かつての歓楽街から観光客をもてなす美しい「あじさいの里」へと見事な変貌を遂げました。毎年6月、形原温泉の初夏を彩るあじさい祭りの季節を迎えると、境内周辺は見渡す限りの鮮やかな大輪に包まれます。

かつて花街を照らした華やぎは、いまや瑞々しいアジサイの色彩へと受け継がれ、新緑の山裾に静かな美しさを添えています。

  • 寺号 円通山 補陀寺
  • 本尊 釈迦牟尼仏
  • 宗派 曹洞宗
  • 創建 元和9年1624年)暉堂慧禅師

補陀寺の画像

観音堂には、八臂の馬頭観音像が安置されていています。また、左右に指定文化財の馬頭観音立像と薬師如来立像の写真が置かれています。

地図・行き方

参考文献
新訂三河国宝飯郡誌 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
蒲郡史談 – 国立国会図書館.
蒲郡市寺院悉皆調査報告書 – 国立国会図書館.
補陀寺沿革 – 境内案内板.

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です