委空寺 – 鼠小僧次郎吉の墓所

委空寺と竹島弁天社

委空寺は、かつて竹島弁天社(竹島神社=八百富神社)の別当寺でした。そして、神社の管理や祭祀を担っていました。しかし、社僧と村民との間に不和が生じ、社僧側の不正が明らかになったことから、神主が祭祀を行うようになったと伝えられています。

その後、竹島神社は享保年間(1716-1736)に社号を「竹島神社」とし、享保20年(1735年)には「八百富神社」という神号を受けるに至ります。

松平家との関わり

竹島弁財天の社記には、慶安2年(1649年)に竹島および別当寺である委空寺に対し、黒印除地2石3斗余りが与えられたと記されています。

そして、宝永元年(1704年)に松平義堯が寺を再興し、竹島弁天社の別当寺としたとも伝えられています。

また、宝永2年(1705年)の大旱ばつの時に、雨乞いをし霊験があったので薬師を寄進したと伝えられます1。このように、領主の松平家との関係が深かったことがうかがえます。

鼠小僧次郎吉の墓

委空寺には、江戸の義賊として知られる鼠小僧次郎吉の墓があります。一説によると、次郎吉は三河国西郡蒲形村(現在の蒲郡市神明町=委空寺の近く)で、定七とかんの間に長男として生まれたと伝えられています.2

そして、よく知られている通り、怪盗として活躍した彼は、最後は捕らえられ獄門に処されました。その遺髪を母親のかんが故郷に持ち帰り、墓を建てたと言われています。

境内に入ると正面に本堂、左が薬師堂、右に毘沙門天堂です。墓地の前には地蔵堂があり、次郎吉の墓は北側にあります。多くの千日のぼりがはためく委空寺には、こうした歴史的な物語が数多く残されています。

  • 寺号 委空寺
  • 本尊 阿弥陀如来
  • 宗派 浄土宗西山深草派
  • 創建 不詳 委空学順(寂年 享保19年・1734年)

委空寺の画像

地図・行き方

参考文献

  1. 浄土宗西山深草派寺院名鑑
  2. 異説なるほど日本史 (天山文庫)

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