明柄地蔵・薄御殿 – 西浦町

明柄地蔵(みょうがらじぞう)は、もともとは海岸より北東50メートルの位置にあり、当時この海域で多発した船の遭難事故の犠牲者を弔うための慰霊像として建てられたと伝えられます。その後、現在地の西浦町明柄へ、明治18年(1885年)に移設・再建されました。

明柄地蔵と刻印石

明柄地蔵は、台座を含めた高さが3メートル20センチにもなる巨大な地蔵像です。そして、高く組まれた石垣の台座と相まって、大変美しく威厳のある佇まいを見せています。その建立の経緯を解き明かしたのは、地元出身の壁谷善吉氏です。壁谷氏は名古屋城築城の残石調査で知られる人物で、石積み船に関する調査の過程で、この地蔵の歴史を明らかにしました。そして、その堅牢な台座に使われている石には、「清正(加藤)」「慶長十五年四月」、さらに採石者の「刻印」などが刻まれています。その刻印を発見し文字を判読したのも壁谷氏でした。その著書『加藤清正は名古屋城天守台の石をどこで採ったか』には写真付きで詳しく解説されています。実際に残石を見ても、わたしには単なる模様にしか見えませんでした。これを判読するために5年以上の歳月を要したそうです。画像の下の列は、明柄地蔵正面、台座石垣、そして壁谷さん著書を見ながら刻印を入れた画像です。(また、正面だけではなく、四方に刻まれています)

薄御殿(すすきごてん)

また、この地域は徳川方の水軍の要の地とされ、かつては前線基地があり「薄御殿」と呼ばれていたそうです。明治時代の古地図を見ると、現在の明柄グランドの部分は入江になっており、船を係留するのに適していたことがわかります。数百年の時を超えても海は変わらずそこにあります。そして海に向かって静かに合掌する明柄地蔵の姿があります。歴史を静かに見守ってきたその姿は、見る者に深い感動を与えます。明柄のお地蔵さん 実は遭難事故の慰霊像 | 東日新聞今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部

明柄地蔵の画像

地図・行き方


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