安達藤九郎盛長五輪塔

愛知県蒲郡市五井町の龍田山長泉寺には、安達藤九郎盛長の五輪塔が建てられています。盛長は、建久9年(1198年)に初代三河国守護に就任した人物です。

長泉寺は盛長が普請奉行として建立したと伝えられています。当時、彼は長泉寺を含む「三河七堂」の建立や再興に尽力しました。三河七堂には、長泉寺のほかに金蓮寺、鳳来寺、普門寺、財賀寺、法言寺、そして現在は廃寺となった全福寺が含まれます。

源頼朝の最側近としての活躍

盛長は、源頼朝が伊豆に配流されていた時代からの側近です。妻の丹後内侍が頼朝の乳母・比企尼の長女であった縁もあり、頼朝挙兵の際には使者として関東武士の糾合に奔走しました。

頼朝の没後(1199年)に出家し、2代将軍・頼家の宿老として「鎌倉殿の13人」の一人に名を連ねます。その翌年の正治2年(1200年)、66歳で没しました。

三河の地との深い縁

解説板によると、盛長はこの地で亡くなり、縁の深い長泉寺に墓が建てられたとされています。(伊豆市の修禅寺にも墓所があります)

また『尊卑分脈』では、盛長は小野田三郎兼広の子と記されています。兼広が三河国宝飯郡小野田(現在の豊橋市賀茂)の出身という説もあり、盛長にとって三河は非常にゆかりの深い土地だったと言えるでしょう。

安達藤九郎盛長五輪塔の画像

地図・行き方

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