光忠寺 – 形原松平家の墓所

光忠寺(こうちゅうじ)は、形原松平家の初代から5代にわたる当主の墓所です。この寺院は、形原松平家の初代・与副(ともすけ)から、2代貞副、3代親貞、4代家廣、5代家忠に至るまでの菩提寺となっています。

光忠寺の概要と形原松平家の墓所

創建は文亀3年(1503年)で、大草松平家初代・光重が、形原松平家初代・與副の遺骸を葬ったのが始まりと伝えられています。寺号の「光忠寺」は、与副の法号である「玉峯院殿信誉光忠大居士(ぎょくほういんでん しんよ こうちゅう だいこじ)」から二字をとって名付けられました。

境内にある解説板には、次のように記されています。

形原松平家の初代・與副が、長享元年(1487)十月二十一日に亡くなられ、法号を玉峯院殿信誉光忠大居士ぎょくほういんでんしんよこうちゅうだいこじとし、遺骨を法林山の境内に葬った。光重は寺院を建立して、與副の子孫代々の菩提寺と定め、與副の法号の二字をとって寺号とした。これが光忠寺である。

この解説板では、光重と與副は、通説で言われる松平信光(のぶみつ)の子ではなく、松平益親(ますちか)の子としています。そのため、「血の繋がらない義兄弟、あるいは血の繋がる兄弟間で互いに寂しさを紛らわしてきた実の兄弟であるが故」に、光重が光忠寺を建立し、その後の助力も惜しまなかったと考察されています。

形原松平家6代以降の墓所とその他一族の碑

形原松平家の6代家信以降の当主は、下総佐倉(しもうささくら)、摂津高槻(せっつたかつき)、丹波笹山(たんばささやま)と居城を移したため、現在は京都市亀岡の光忠寺(注:同名別寺、または移転先の寺院)にて弔われています。

また、境内には、藤井松平家と西郷家にまつわる碑が建てられています。

藤井松平家

藤井松平家初代・利長は、形原松平家2代・貞副の実子です。利長はその後、松平宗家・長親の5男として養子縁組したと伝えられています。

光忠寺は、この初代利長と3代信吉の正廟(せいびょう:位牌を祀る寺)になっています。

西郷家

西郷正勝は、光重の子孫にあたり、形原松平家5代・家忠の教育係を務めていました。こうした縁(因縁)から、光忠寺に埋葬されたと言われています。

なお、西郷の局(家康の側室で、徳川家2代将軍秀忠の生母)は、正勝の外孫(娘の子)にあたります。

正勝の墓所は、昭和20年(1945年)の三河大地震によって崩壊したそうです。

光忠寺の境内

光忠寺の境内は、歴史を感じさせる墓標や解説板が整然と並び、格式高い雰囲気を醸し出しています。また、八幡大菩薩(出世八幡宮)、稲荷大明神、金刀比羅大権現を祀る三つの社が並び立ち、様々な信仰を集めてきたことがうかがえます。

特に目を引くのが、蒲郡の名木50選に選ばれた見事なマツです。この大木が堂々とそびえ立ち、境内全体を荘厳な雰囲気で包み込んでいます。

光忠寺のマツ – 蒲郡の名木50選 44 

光忠寺の画像

  • 寺号 法林山 光忠寺
  • 本尊 阿弥陀如来
  • 宗派 浄土宗
  • 創建 文亀3年(1503)松平光重
  • 霊場 三河新四国 第4番

地図・行き方

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