名古屋城石垣採石場跡 – 残石

西浦海岸に残る、名古屋城築城の歴史

名古屋城石垣採石場跡は、西浦海岸の橋田鼻・松島遊歩道沿いあり、刻印や大名の名前が刻まれた「残石」が残されています。ここで切り出された石は、船に積まれ熱田まで運ばれたと言われています。採石場(石切場)が海岸線にあったのは、運搬の効率を重視したためと考えられます。

石垣に使われた「幡豆石」

名古屋城の石垣には、「幡豆石」「河戸石」「岩崎石」が多く利用されています。中でも幡豆石は、トーナル岩(黒角閃石)に分類され、西尾市の幡豆地域、蒲郡市、篠島など、三河湾沿岸に広く分布しています。

このことから、名古屋城の石垣に用いられた石材の多くが、この地方の産物であることがわかります。

遊歩道に残る「残石」と「刻印石」

その採石場のひとつが、ここ西浦海岸です。橋田鼻・松島遊歩道沿いの海岸には、石を切り出すために開けられた矢穴の跡が残る石、いわゆる「残石」を見つけることができます。

さらに、この残石の中には福島正則ものもあるとされている刻印石も見られます。

(補足: 矢穴石は判別しやすいものの、刻印は石の模様のように見えて分かりにくいものもあります。)

三河湾沿岸の他の採石場

なお、採石は西浦だけでなく、近くの竹島でも行われました。竹島海岸にも竹島の採石場があり名古屋城石垣採石場あとを示す、矢穴石や刻印石が残されています。

ここで切り出された石は、名古屋城だけでなく、吉田城(豊橋市)の石垣にも転用されています。三河湾沿岸が、近世初期の築城を支える重要な石材供給地であったことがうかがえます。

名古屋城石垣採石場跡の画像

軍杯模様の刻印石は、加藤清正の重臣であった小野弥次兵衛のものと言われています。(「名古屋城石垣石材/伝承初の裏付け 加藤家重臣の刻印発見」)

そして、これら刻印石の多くは、地元の壁谷善吉さんが発見しています。また、壁谷さんは『加藤清正は名古屋城天守台の石をどこで採ったか』を出版しています。

地図・行き方


参考文献・サイト

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