芭蕉と鳳来寺
元禄4年(1691年)10月23日、松尾芭蕉は鳳来寺を訪れました。前日に新城の門人・太田白雪邸で「その匂ひ 桃より白し 水仙花」と詠み、白雪父子を讃えた後のことでした。
しかし、いざ参拝へ向かい仁王門に差し掛かった頃、持病が激しく痛み出します。(癪か疝気と痔の出血、また一説には風邪の熱。)一行は止むなく登頂を断念することとなります。
寒風の中で借りた「夜着」の一句
その日は鳳来寺の秋祭りで宿屋はどこも満員でした。そのため、石段登り口から近い「屋根屋」という宿に無理を言って一夜を明かしました。風が吹き抜ける粗末な部屋で寒さに震える芭蕉を救ったのは、鳳来寺(あるいは僧坊)から特別に借り受けた「夜着(掛け布団)」でした。
「夜着ひとつ 祈り出しての 旅寝かな」
仏の慈悲を祈るような心地で、借りた布団に身を包んだ切実な心境がこの句に込められています。
*屋根屋跡の夜着(旅寝)句碑には「みかわの国鳳来寺に詣る道の辺より例のやまひ起りて麓の宿に一夜明かすとて」が初めに刻まれています。
*「新碑」には「先入の労による芭蕉塚「木枯」の句碑の文字が読みにくくなったので同志相図り碑石を改め文字を明らかにして読みやすくしたものである」の碑文が刻まれています。旧碑は「明和三丙戌」(1766年)、新碑は「昭和46年」(1971年)の建立です。
幻の参詣と残された句碑
病が癒えた芭蕉は新城へ戻り、菅月亭で「京にあきて 此小がらしや 冬住居」と詠みました。
結局、仁王門より先へは進めなかったため、芭蕉は鳳来寺の本堂へは参詣していません。そして、巨木「傘スギ」も目にしていません。しかし、この地で詠まれた「こがらしに 岩吹きとがる 杉間かな」の句は、芭蕉が感じ取った鳳来寺の峻烈な空気そのものでした。
現在、宿泊先だった「屋根屋」の跡地には当時の井戸が残ります。また、昭和42年に「夜着」の句碑が建てられています。
参道沿いの銅像や句碑と共に、聖地を目前にしながら病と闘った俳聖の足跡を今に伝えています。
笈日記 (俳人叢書 ; 第4編) – 国立国会図書館デジタルコレクション








