家康の腰掛岩(つくね岩)
2025年11月16日
「家康の腰掛岩」は、上ノ郷城の北西、聖山の中腹に位置します。
この場所は、永禄5年(1562年)の「上ノ郷城攻め」において、岡崎城から出陣した徳川家康が陣を敷いたとされる「名取山」の一角です。現在もこの周辺には神ノ郷町名取・上名取といった地名が残ります。
この城攻めの際、家康が座って指揮を執ったのが、通称「つくね岩」とも呼ばれるこの「家康の腰掛岩」だと伝えられています。
家康が岡崎から来たルートは、名取山の西川にある深溝から西迫、柏原を経て竹谷に至る柏原街道だったとされます。また、東側には坂本町の「竹千代の道」があります。これは、家康が幼少期に今川氏の人質として駿河へ送られた際に通ったと言われます。
上ノ郷城を見下ろし、岡崎への道を確保する上で、ここは戦略的に最適な場所であったことが、この地から家康の巧妙な戦略を今に伝えています。
現在は大木に覆われて眺望は失われていて眺望がありません。しかし、木々の隙間からは、かつて家康が見たであろう街並みがわずかに垣間見えます。
家康の腰掛岩の画像
地図・行き方
聖山登山道沿いにあります。登山道入口は、白滝池を巻いて西に延びる市道白瀧線沿いです。ただ、獣避けの金網があります。おおよその場所は聖山登山口です。ここから、徒歩10分程度です。そのまま登って聖山山頂には、赤日子神社の奥の院があります。(赤日子神社 – 奇異なる氏子現象 – 蒲郡の旅)





