稲石佐平翁頌徳碑

稲石佐平翁頌徳碑は、蒲郡市大塚町広畑の素盞嗚神社の境内に、「明治二十七八年戦役記念碑」「西南役従軍記念碑」と並んで建っています。もともと大塚役場に建てられたものを、ここに移設しました。

稲吉佐平は嘉永2年(1847年)生まれました。19歳の時に明治維新を迎え、20歳で上京しました。そして、幕末の三舟の一人である山岡鉄舟の門下生として約5年間修行しました。その後、大塚に帰りこの地域の発展に一生を捧げました。

彼の主な功績は多岐にわたります。

越戸(おっと)の私設灯台の建設

渥美半島沖での漁船遭難を憂慮し、発起人総代として明治21年(1888年)に私設大山灯台を完成させ、灯りを点けました。建設費用を補うために、「明治の三舟」の書を売却したと伝えられています。(明治の三舟とは、山岡鉄舟、勝海舟、高橋泥舟の三人です)

養殖事業の導入

豊橋市大崎周辺から種アサリを買い付け、大塚海岸に播いてアサリを繁殖させました。また、渥美湾内で板甫(いたほ)牡蠣の養殖も開始し、漁業の振興に貢献しました。

漁業者間の紛争仲裁

前芝(豊橋市)の白魚漁業者と建干網業者、三河湾・伊勢湾・遠州灘の広範囲にわたる漁業者間の多くの紛争を解決に導きました。

道路(県道)の敷設

星越(ほしごえ)峠を越える山道しかなかった大塚・三谷・蒲郡間に、海岸線を通る新県道を開通させました。

トンネルとガードの設置

東海道線の開通により分断された土地の往来を改善するため、トンネルとガードの設置を実現しました。

佐平は大正12年(1923年)に75歳で亡くなります。そして、その生涯を公共事業の発展に尽くしました。また、「山家に住むものが山の幸によって活き、海に暮らすものが海の幸、海の恵みを尊び開拓するのは天理である」という産業観を持っていました。

この稲石佐平翁頌徳碑は、宝飯郡水産会から大正15年(1926年)3月に贈られました。

参考文献 『大塚・相良ふるさと博物館』
開校廿周年記念東三河産業功労者伝 – 国立国会図書館

稲石佐平翁頌徳碑の画像

地図・行き方

目次と検索蒲郡の旅・蒲郡市内の史跡・旧跡・名跡・観光地・飲食店を紹介します。あてもなく蒲郡に移住した私の、驚きや感動、悲しみや切なさ…そんな、蒲郡市内の紹介と小さな旅の記録です。 蒲郡…
続きを読む
 kixxto.com
目次と検索

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です