秋葉神社(中区)- 三谷の火災と火伏の神
秋葉神社(中区)は、現在の三谷町六舗に静かに鎮座しています。この地はかつて中区と呼ばれていました。神社前のバス停にも「中区 秋葉神社」としてその名が残っています。
この神社は、JR三河三谷駅から海岸へと続く道路沿いに位置します。かつて高度経済成長期には、海水浴客が駅から海岸まで行列を作るほど賑わった通りだと言われています。
道路の西側には観音寺、八剱神社、光昌寺といった寺社が並び、路地が続いており、蒲郡を代表する古い街並みが残る地域となっています。
火災から生まれた信仰の歴史
三谷町は以前、六区(中区はその一つ)で構成されていました。秋葉神社は昔から大切に祀られ、『今昔之三谷』の記述に見えるように「各区に祀られて」いました。
昔は消火設備や組織が脆弱だったこともあり、一度火災が発生すると大火なりやすい街と家屋の構造でした。三谷地区では記録に残るだけでも、次のような大火が発生しています。
- 弘化5年(1845年)2月20日夜:「三谷中浜中残らず焼ける」
- 慶応2年(1866年)10月22日昼:「中浜の又吉南火元にて東新屋まで焼ける」
こうした事態を受け、当時の領主松平氏は「三谷は火災が多く、領民が苦しむので、何とか工夫しなければならない」と考えました。
五井山と三河大島の秋葉神社
その対策として、領主は以下の火伏(ひぶせ)の信仰を広めました。
1.五井山への秋葉山の遷座
天桂院に祀られていた秋葉社を五井山の中腹に移し、秋葉山(五井)としました。
2.三河大島への秋葉山の勧請
三河大島にも秋葉山を勧請し、海と山から火伏の神を祀りました。この大島秋葉神社は「世にも珍しい北向」になったと伝えられています。
3.火の用心のお札配布
殿様自らが書いた「火の用心」のお札を版刷りし、各家庭に配布したと伝えられています。
秋葉神社(中区)の現状
三谷町の秋葉神社は、神社の由緒自体は不詳であり、現在神社庁の『愛知県神社名鑑』にも掲載されていませんが、中区の氏神様として地域の人々に大切に祀られ続けています。
なお、三谷の他の区においても、現在も秋葉神社、秋津社が独立して、八剣神社、神明神社、天白神社、若宮社がそれぞれ境内社として祀られています。
- 御祭神 火之家具槌神 建速須佐之男命
- 例祭日 7月第4土曜日
- 創建年 不詳
秋葉神社(中区)の画像









