三谷祭の由来と地域の変遷

三谷祭の由来は、三谷村の庄屋であった竹内佐左衛門(たけうち さざえもん)が見た夢に基づいています。その夢とは、「八剱(やつるぎ)神社の神が若宮八幡(わかみやはちまん)へ渡御(とぎょ)された」というもので、佐左衛門はこの夢を現実のものにしようとしました。佐左衛門の地元である松区(当時の地名は松葉嶋)を宮元とし、全村六区の集会を求めて神事が行われたと伝えられています。

三谷祭りの構成と役割

三谷祭の神事は、主に次の流れで行われます。

試楽祭(しがくさい):神幸祭(本祭)の前日に、若宮神社(応神天皇)の神船「若宮丸」が八剱神社へ赴き、日本武尊(やまとたけるのみこと)を招待します。

神幸祭(本祭):当日、招待された日本武尊が若宮丸に乗り、若宮八幡へと渡御します。

この神事において、各区には次の役割があります。

松区宮元として神事を司る
東区神船「若宮丸」を曳く
上区剣の山車、素盞鳴の舞、子踊りを奉納
西区恵比寿の山車、神楽の舞、大名行列、子踊りを奉納
北区三蓋傘の山車、七福神踊り、子踊りを奉納
中区花山車、連獅子踊り、子踊りを奉納

 

地域の変遷:旧六区から「舗」の区割りへ

かつての三谷は、上記の松区、東区、上区、西区、北区、中区の「三谷六区」によって構成されていました。しかし、現在は旧地名が消え、一舗〜十舗という区割りに変わっています。

三谷町六区と、それぞれの氏神様、現在の「舗」によるおおよその地域は以下の通りです。

旧区旧地名氏神様おおよその地域(舗)
松区松葉八剱神社二舗周辺
東区東新屋若宮神社一舗周辺
上区上げ天白神社三舗〜四舗周辺
西区西新屋神明神社八剱神社八舗〜十舗周辺
北区中屋敷秋津社七舗〜八舗周辺
中区中浜秋葉神社五舗〜六舗周辺

各区には現在も公民館があり、祭りの運営だけでなく、地域のコミュニケーションも区ごとに行われています。

地名と歴史の継承

旧地名から数字を用いた「舗」という地名への変更は、画期的で高い利便性をもたらしたことでしょう。しかし、地名はその土地の歴史を内包する伝統でもあります。郷土史家でもあった伊藤天章氏が50年前に指摘されたように、「何年か後には消えてなくなる運命」を辿ることになったのです。

三谷祭・各区の画像

三谷・会館の地図


今昔之三谷 – 国立国会図書館
蒲郡史談 – 国立国会図書館

八劔神社 – 三河国内神名帳記載の古社 – 蒲郡の旅
若宮神社(三谷) – 神船 若宮丸 – 蒲郡の旅
天白神社 – 祇園信仰と地名に由来する古社 – 蒲郡の旅
神明神社(三谷) – 御上神楽も渡御します – 蒲郡の旅
秋葉神社(中区)- 三谷の火災と火伏の神 – 蒲郡の旅
秋津社 – 「秋津」の理由 – 蒲郡の旅
秋津神社 – 三谷祭、火伏の信仰 – 蒲郡の旅

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