大宮神社 – 熊野との深いつながり
大宮神社は、愛知県蒲郡市宮成町の落合川南側に静かに鎮座しています。
神社の立地が示す歴史的な道筋
神社の立地には、この地域の歴史が凝縮されています。まず、蒲郡市役所西側の通りから、鳥居、拝殿へと続くほぼ一直線の道は、まるで海から伸びる参道のようです。つぎに、落合川河口にある大宮神社遥拝所も、川を通じて神社と結ばれており、神社の位置と「道」が、古くからこの地で重要な役割を果たしてきたことを物語っています。
創建の由緒:藤原俊成と熊野権現
大宮神社の創建には、蒲郡開発の祖とされる藤原俊成が深く関わっています。
社伝による説
俊成の娘である菊姫が、父俊成に頼み、元暦2年(1185年)に紀州(現在の和歌山県)那智山の熊野三社権現から若一王子(にゃくいちおうじ)を勧請したのが始まりと伝えられます。そして当初は「大宮権現」と呼ばれていました。
熊野一族進出による説
俊成が国司時代(1145〜1149年)に開発した蒲形・竹谷の海岸部の荘園を熊野山に寄進し、この地が熊野領となります。この熊野領化に伴い、熊野から鈴木、宇井、榎本、生田、鵜殿といった一族が進出しました。彼らが最初に若一王子を祀って「大宮権現」と称したのが、大宮神社の起源という説もあります。
いずれの説も、藤原俊成による蒲郡の開発と熊野領化、そしてそれに続く熊野一族の進出という歴史的な流れと深く結びついています。
( 補足)坂本町の国指定重要文化財である勝善寺梵鐘の鐘銘にも、熊野別当(熊野三山の統括者)が関わってこの地域の鐘が鋳造されたことが記されています。これは熊野との強いつながりを示唆しています。
熊野一族の拡大と「奇異なる氏子現象」
蒲郡に進出した熊野一族のうち、榎本氏が大宮神社の神職を代々務めます。そして鵜殿氏は上ノ郷(かみのごう)など周辺地域に勢力を広げていきました。
この熊野族の進出と大宮神社の建立が、この地域特有の「奇異なる氏子現象」を引き起こします。これは、『神社を中心としたる宝飯郡誌』で太田亮が指摘した現象です。それは「神社の鎮座地と、その神社の氏子が住む地域が一致しない」という特異な状況を指します。
『蒲郡市誌』は、この現象の原因として、「犬飼湊(いぬかいみなと)から上陸した熊野勢(熊野一族)が、大宮神社を中心に拠点を構えた」結果、水田を求めて北上し、もともと住んでいた住民を北へと押し出したためだと説明しています。
現在の大宮神社
境内には、創建に関わったとされる菊姫の墓が弔われています。また、御鍬神社、祇園神社が境内社として鎮座します。
大宮神社の由緒と地理的位置は、かつてこの地域で中心的な宗教施設であったことを示唆しています。そして現在でも盛大な例祭が行われ、多くの参拝者が訪れる、地域にとって重要な神社です。
- 御祭神 伊奘冉尊 速玉之男命 事解之男命
- 例祭日 10月第2日曜日
大宮神社の画像








