熊野神社(坂本)- 薬勝寺と熊野別当
熊野神社(坂本)は、蒲郡市坂本町坂口の山裾に静かに鎮座しています。当神社の創建は古く、承元2年(1208年)までさかのぼる歴史を持ちます。
創建の背景と地域における勢力拡大
赤日子神社が安曇(あずみ)族によって創建されたとされるのに対し、熊野神社は熊野一族によって創建されました。彼らは共に海を渡り、内陸部へと勢力を拡大していきました。蒲郡地域においては、この勢力拡大の過程が、「奇異なる氏子現象」として、歴史的遺構のように残っています。
熊野一族は、勢力拡大に際し、願いが必ず叶うとされる神符(お札)である「牛王宝印符(ごおうほういんふ)」を持って布教したと言われます。そして、各地に熊野神社を建立し、支族を定着させていきました。
薬勝寺と熊野別当
熊野神社(坂本)の起源は、坂本町深山にあった薬勝寺にさかのぼります。国指定文化財として知られる「勝善寺の梵鐘(ぼんしょう)」の銘文に、この薬勝寺の存在が記されています。(勝善寺 – 坂本町深山 – 蒲郡の寺院 )
梵鐘の碑文によると、承元2年(1208年)に熊野別当の永範(えいはん)が鋳造し、その子である行範(ぎょうはん)が寛喜2年(1230年)に再鋳したことがわかります。
境内の「御由緒碑」には、その行範が承元2年(1208年)に「薬勝寺とうに、阿弥陀仏、薬師仏、千手観音」を祀ったと記されています。これは、熊野三社の本地仏(三体の仏様)を、薬勝寺を含む三つの寺院に祀ったことを意味しています。
その後、鎮守社として熊野神社が応永元年(1394年)に、紀州熊野神社より勧請(かんじょう)されました。そして、現在の勝善寺境内の位置に祀られたのが、当社の始まりとされています。
神仏分離と遷座
明治時代の神社制度改革(神仏分離)により、境内観音堂にあった千手観音は他所へ移されました。そして明治13年(1880年)に、神社は深山から現在の坂口へと遷座されました。深山に残り、千手観音を祀る寺院となったのが、現在の勝善寺です。
深山から移ったとはいえ、熊野神社は歴史ある坂本の街並みを見下ろす、さらに高い位置に鎮座しています。その佇まいには深山幽谷(しんざんゆうこく)といった趣が感じられます。
- 御祭神 伊弉冊命 速玉男命 事解男命
- 例祭日 10月10日
熊野牛王神符は、通称「オカラスさん」と言われ、落語にでてくる「起請文」を書いたのが牛王神符です。

熊野神社(坂本)の画像








