正行院 – 名取山を背景にして

正行院は、蒲郡市神ノ郷町中山本の名取山の山裾に位置する法華宗の寺院です。かつて上ノ郷鵜殿氏の領地であったこの地は、歴史の面影を色濃く残しています。

正行院のルーツ、長応寺の変遷

正行院の歴史は、上ノ郷城主の鵜殿氏が建てたと言われる、芳荷山 長応寺に遡ります。(そして、連歌師 谷宗牧の『東国紀行』にでてくる「常顕院」は、長応寺の塔頭と言われます)

創建と焼失

文明11年(1479年)に創建されたと伝わる長応寺は、文禄元年(1592年)の上ノ郷城落城とともに焼失しました。

江戸への移転と再興

同年、長応寺は江戸へ移り、現在の品川区小山にある芳荷山 長応寺となりました。その後、鵜殿氏出身で徳川家康の側室であった西郡局によって再興されたといわれています。

北海道への分院

また、明治の初めには、「法華宗農場」の寺院として、北海道天塩郡幌延町にも同じく芳荷山 長応寺が設立されました。

正行院の建立

焼失した長応寺の跡地には、その後、別の寺院が建立されました。

救護院妙了寺の建立

延宝6年(1678年)に、下ノ郷鵜殿氏の菩提寺である長存寺の塔頭、乗円院の住職・日儀が開基となり、救護院妙了寺が建てられました。

正行院への改称

さらに元禄9年(1700年)、同じく長存寺塔頭の智積院の日好が住職となった際に、寺号が現在の救護山 正行院に改められ、この寺院の歴史を形成しました。

上ノ郷の歴史と正行院

正行院は、「落城男女諸精霊の墓」「上ノ郷鵜殿氏慰霊碑」があり、上ノ郷松平氏の菩提寺となっています。

墓標と名取山

境内には両氏の墓標が、寺の背景にある名取山を背に建っています。この名取山は、上ノ郷城落城の際に徳川家康が陣を敷いた場所とされています。(鵜殿長照の墓は、西門前の共同墓地にあります。)

地名の名残

上ノ郷の地には、「殿市場」「市場前」「門前」など、かつて城下として賑わっていた当時の名残が地名として残っています。そしてこの正行院もまた、その歴史の面影を今に伝える場所です。

清見学校

また、蒲郡西部小学校の前身である清見学校が、明治7年(1874年)に正行院に置かれました。

 

上ノ郷という地名が「上ノ郷」から神が宿る「神ノ郷」へと変わる歴史の中で、正行院はこの場所を静かに守り続けています。

  • 寺号 救護山 正行院
  • 本尊 釈迦如来(『蒲郡町誌』による)
  • 宗派 法華宗陣門流
  • 創建 延宝6年(1678年)日儀

正行院の画像

地図・行き方

参考文献

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