慈恩寺 – 小田天庵氏治と香縁尼の墓所
慈恩寺は、清田町田ノ入の山裾に位置している、浄土宗西山深草派の寺院です。この周辺には、かつて「日めぐり」という地名があり、「日めぐり古墳群」が存在した場所でもあります。山号は青銅山。寺の創建は天正4年(1576年)に、戦国時代の武将・小田天庵氏治(おだ てんあん うじはる)の末裔によって開基されたと伝わります。
小田氏治と慈恩寺の深い縁
この地で小田天庵氏治の名が語り継がれていることは、この地方の歴史の重層的な深さを物語っています。氏治は、戦国時代の常陸(現・茨城県)を拠点とした武将・戦国大名で、八田知家(はった ともいえ)を始祖とする名門です。(大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、八田知家を市川隼人さんが演じました。)
蒲郡に伝わる『小田系図』によれば、氏治は「小田城陥落の後、常陸国を出て、駿河の今川氏真を頼った」のち、「勢州(伊勢)妙見町に落ちぶれた身を落ち着け」た、とあります。その後、清田の地に住むことになったと、系図は示唆しています。(ただし、天庵氏治は嫡男・守治とともに結城秀康の越後への転封に従い、そこで慶長6年/1601年に亡くなったと言われます。)
慈恩寺は、その小田天庵氏治の次男、小田政氏(まさうじ)が開基したと伝えられています。
尼僧・香縁尼と寺の再興
慶長7年(1602年)、香縁尼という尼僧が伊勢国山田(現・三重県)の慶光院から、鳳来寺へのお参りの途中に政氏を訪ねました。これは、互いが足利将軍家にゆかりのある者同士だったためです。
この訪問の際、政氏は香縁尼に対し、「父の菩提を弔うため、慈恩寺を再興したい。つきましては、ぜひ住職になっていただきたい」と依頼しました。
翌慶長8年(1603年)、政氏は寺院を建立します。本尊として、足利八代将軍・義政が祖父の右京太夫政治に遺品として贈ったとされる運慶作と伝わる観音像を祀りました。そして、足利義政の法名「慈照院喜山道慶」にちなんで青洞山 慈恩寺と名付けたと伝えられます。そして、香縁尼を初代住職としました。これが、慈恩寺の由来です。
慈恩寺の天庵と香縁尼の墓
慈恩寺の裏山には、小田天庵氏治の墓があります。その隣にある小さな塔墓は、香縁尼のものと考えられます。
南向きの山裾に広がる境内からは、三河湾の美しい眺望が楽しめます。また、山中には準四国八十八か所霊場が設けられ、大師像と霊場本尊が並んで祀られています。
小田天庵氏治が実際にこの地に埋葬されているかは定かではありません。しかし、この青洞山 慈恩寺は、蒲郡に根付いた小田一族の想いと歴史が集約された場所と言えるでしょう。
- 寺号 青銅山 慈恩寺
- 本尊 聖観世音菩薩
- 宗派 浄土宗西山深草派
- 創建 天正4年(1576年) 小田天庵氏治の裔(一説では氏治の子、政氏)
- 霊場
- 穂の国三十三観音 16番
- 保内西国三十三観音 18番
慈恩寺の画像









地図・行き方
参考文献