市場神と印内石 – 鵜殿氏から続く蒲郡市本町の物語
市場神と上ノ郷鵜殿氏の興亡
市場神(いちがみ)は、鵜殿氏が上ノ郷に居城を構えていた時代、市場の守り神として祀られていました。その上ノ郷は、「東海の市場」と言われるほど賑わっていて、「殿市場」「下市場」という地名にその名残を残します。
鵜殿長照(うどのながてる)の治める上ノ郷鵜殿氏は、永禄5年(1562年)に徳川家康によって攻め滅ぼされます。しかし、下ノ郷鵜殿氏と柏原鵜殿氏は徳川方についていたため、滅亡を免れました。
六斎市と加藤彦十郎
鵜殿氏の落城後、上ノ郷には家康の義理の父である久松俊勝(ひさまつとしかつ)が入ります。この時、上ノ郷の殿市場(とのいちば)にあった市場神は下ノ郷に移されました。現在の長存寺から本町周辺で「六斎市(ろくさいいち)」、通称「五・十(ごとう)の市」が開かれるようになりました。
この六斎市は、下ノ郷鵜殿氏の庇護のもと、加藤彦十郎(かとうひこじゅうろう)が運営していました。この加藤氏こそ、家康の側室「西郡局(にしのこおりのつぼね)」の実の父にあたります。(余談ですが、NHK大河ドラマ『どうする家康』では北香那さんが演じられていました。ドラマでは、猪をさばいて料理するほど勇敢で、そして同性愛者として描かれていましたね。)
松平清昌による町の整備と印内石
その後、竹谷松平家(たけのやまつだいらけ)の名跡を継いだ松平清昌(まつだいらきよまさ)は、西郡10か村を治める5000石の地頭となり、蒲形(かまがた/現在の本町周辺)に居館を築きました。市場神は、この蒲形の中心地に祀られていたと言われています。
また、松平清昌は蒲形の町屋敷の住民に対して、12石余りの役を免除しました。その免租(めんそ)の地域を示すのが、印内石(いんないいし)です。この石は、東は現在の秋葉神社があるあたり、西は本町交差点の「鍵手(かぎて)」と呼ばれる町の両端に置かれていました。現在も、本町の十王堂(じゅうおうどう)の前に一つ、そして薬証寺(やくしょうじ)の東に一つ残っています。
「本町銀座」の繁栄と市場神の霊験
その通りは「本町銀座」と呼ばれ、とても賑わいました。今も通り沿いに商店が並び、当時の賑わいの面影を残しています。これほど長く繁栄が続いているのは、もしかしたら市場神のご利益かもしれませんね。
市場神は、薬勝寺の境内に移され祀られています。
市場神と印内石の画像
市場神は薬証寺境内、東の印内石は薬証寺の東側、西の印内石は十王堂前にあります。
参考文献





