洞源院 – 山号寺号が表わす松平家との関係
2025年9月16日
洞源院の歴史と松平家との深い縁
洞源院は、蒲郡市本町東に位置する曹洞宗の寺院です。山号を全孝山といい、慶安3年(1650年)に凡山良寛和尚によって開山されたと伝えられています。ただし、『蒲郡町誌』には、承応年間(1652年-1655年)に天桂院七世・良堯和尚の創建と記されており、創建時期には諸説あります。
山号「全孝山」の由来
洞源院は、はじめは「全孝院」と称していました。この「全孝」という名は、竹谷松平家二代当主・松平守親の法名「松寿院殿順惣全孝」に由来すると考えられます。寺院が黒印地として領主から寄進されていた事実を考慮すると、松平守親の菩提寺として創建された可能性が高いでしょう。
寺号「洞源院」の由来
その後、松平民部の娘が平野久左衛門に嫁ぎますが、夫の病没後に仏門に入り、その法名を「洞源院」としました。この法名が寺号となり、「全孝山洞源院」と名付けられたと伝えられています。
では、この「松平民部」とは一体誰でしょうか。彼は、竹谷松平家七代当主・松平清昌の長男、松平清雄だと考えられています。清雄は病のために家督を継ぐことができず、家督は三男の清直が相続しました。清雄や次男・清勝の子供たちは、この清直の養子となります。
その養子となった中に、清雄の娘がいました。彼女こそが、久左衛門長直の妻となり、後に仏門に入って「洞源院」と名乗った女性です。つまり、彼女は竹谷松平家八代当主・清直の姪にあたり、同時に養女でもあるという、由緒ある人物でした。
このように、洞源院は竹谷松平家と非常に深い由緒を持つ寺院なのです。
現在の姿と古地図が語ること
洞源院は現在ひっそりと佇んでいますが、古地図を見ると、かつては領主や家臣の屋敷が建ち並ぶ敷地内にあったことが分かります。領主やその家臣たちにとって、最も身近な寺院であったと言えるでしょう。

- 寺号 全孝山 洞源院
- 本尊
- 宗派 曹洞宗
- 創建 慶安3年(1650年) 凡山良寛和尚
- 霊場

善応寺の画像
地図・行き方
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