薬師寺 – 女房ほしけりゃ妻薬師
薬師寺は、平田の妻薬師と言われ、平田町二反田に位置する浄土真宗西山深草派の寺院です。山号は平田山。慶長元年(1596年)に松並通全が開山したと伝えれます。
松並通全と薬師寺の始まり
むかし、牧山村に住む松並通全という人がいました。彼は鳳来寺にある利修上人作の薬師如来を深く信仰していました。そして、12年の間に1000回以上も参詣をしました。それだけではなく、人々に食事の提供もしていたそうです。
ある夜、鳳来寺で薬師如来を祀る僧侶の夢枕に、その薬師如来が現れました。「我を南海平の田面へ移すべし」とのお告げです。不思議なことに、松並通全も同じ夢を見ており、そのことを僧侶に話しました。僧侶は「これは仏様のお告げである(仏勅なり)」と悟り、薬師如来を通全に授けたと言います。
通全は持ち帰った薬師如来のために一宇を建てて安置し、「鳳来山護摩寺」と名付けました。これが薬師寺の始まりとされています。その後、一山六坊と大きくなり、平田山薬師寺と山号寺号を改めました。平田町西長根にある「金蔵防」(きんぞうぼう)は、六坊のひとつだと言われています。
妻薬師
『蒲郡町誌』では、「妻に縁遠き者が滋に賽すれば必ず良妻を得ると云う」と記されています。必ず良妻を得る、ということです…。また、「女房ほしけりゃ平田へおいじょ、平田薬師は妻薬師」という歌があるそうです。(郷土民謡風土記 – 国立国会図書館)
また、虫封じに霊験があるとも言われています。
伊藤天章
『蒲郡史談』や『蒲郡風土記』の著者である伊藤天章氏は、薬師寺の住職でした。明治34年(1901年)4月に、北設楽郡振草村古戸川合(今の東栄町)に生まれ、7歳の時に額田町の阿弥陀寺に出されます。そこで得度し、大正8年(1919年)より、ここ薬師寺へ住むようになりました。昭和38年(1963年)に62歳で入寂し、今はこの寺の墓地に眠られています。
『蒲郡史談』は、発行から60年を経た今日でも読みやすいのは、平易な文章と分かりやすい言葉で綴られていることに加え、作者の誠実な人柄が伝わるからでしょう。
- 寺号 平田山 薬師寺
- 本尊 薬師如来
- 宗派 浄土宗西山深草派
- 創建 慶長元年(1596年)松並通全
- 霊場 保内西国三十三か所 26番、27番札所
保内西国の霊場本尊は、26番・三十三身観世音菩薩、27番・聖観世音菩薩です。また、薬師寺の本尊薬師如来は33年ごとに30日開帳するそうです。前回が平成19年(2007年)だったので、次は2040年です。
伊藤天章著『蒲郡史談』
薬師寺の画像









