常円寺 – 小名美女丸、そして多田鼎

常円寺、蒲郡市五井町堂前に位置する真宗大谷派の寺院です。山号は松林山。

小名美女丸

常円寺は、天元3年(980年)比叡山の源信1 の弟子の源賢が開山したと伝えられます。源賢は、多田満中(ただみつなか)2の子で、小名美女丸3と言い、幼い頃より延暦寺で修行をします。

源賢法印

そして、天元3年(980年)この地に来て天台宗の寺院台傳院大燈寺を開きます。その後、親鸞の弟子となり「善」の一字をもらい法名を善明とし、松林山善明寺として浄土真宗の寺院に改めます。

運松院殿

それから時が流れ江戸時代、竹谷松平家4代松平義堯(よしたか 1678-1758)の側室「運松院殿」の菩提寺となり「領主との深い関係」4となります。

松林山 常円寺

そして、延宝5年(1677年)に寺号を常円寺(常圓寺)と改めました。これが、(簡単ですが)常円寺創建にまつわる話です。

多田鼎(ただかなえ)

常円寺の境内に「多田鼎」の銅像があります。多田鼎は、1875年(明治8年)に常円寺住職の3子として生まれます。そして、1900年(明治33年)、清沢満之(きよさわまんし)の浩々洞(こうこうどう)5に参加し、三羽烏といわれる主力メンバーになりました。

その著『正信偈講話』はベストセラーになるほどでしたが、のち「動転」と言われる廻心(回心)をします。そして、それまでの自己批判と清沢批判を行いました。つまり、「精神主義」「恩寵主義」が間違っていたというものです。

むそあまり みつのとしえぬ

その胸像の基台には「むそあまり みつのとしえぬ いやさらに 道まなばなむ 道おさめ南無」が刻まれています。(銘文には「ムソアマリ、ミツノトシエヌ、イヤサラニ、ミチマナバナム、ミチオサメナム」とあります)

1924年(大正13年)には大谷派伝道講究院初代院長となります。この銅像に記されている「講師」は、その意味もあるのでしょう。その後、常円寺50代住職になり、1937年(昭和12年)に入寂します。この胸像は、多田鼎の五十回忌法要を「勝縁」として、1984年(昭和59年)に、この遺徳顕彰の胸像を建立したそうです。

最後に、多田鼎の著書『みどりご 法語集』は、たいへん感動的なエッセイです。その中のひとつだけ引用します。

唯(だれ)も飢ゆ

打つ者と打たるる者とがあり、泣く者と泣かす者とがある。共にみな飢えておるからである。

互に自分の貧しさに目ざめよ。そうして之がために授けられる如来の宝を受けよ。病が一つであるから、薬がまた一つである。

 

みどりご : 法語集 – 国立国会図書館デジタルコレクション

  • 寺号 松林山 常円寺
  • 本尊 阿弥陀如来
  • 宗派 真宗大谷派
  • 創建 天元3年(980年)源賢法印
  • 霊場

常円寺の画像

常円寺の地図・行き方


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真宗法話ー多田鼎の清沢満之批判 三木悟 – YouTube

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  4. 蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館
  5. 清沢満之を中心として開かれた真宗大学の学生らの私塾。清沢の仮宅「浩々洞」にちなんで。現在の親鸞仏教センター

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