真牧寺 – 武田信玄の子孫が再興した?

真牧寺は、蒲郡市東部小学校のすぐ北に位置する、浄土宗西山深草派の寺院です。

真牧寺の歴史

元は山王宮(今の日吉神社)の境内にある小さなお堂でした。そのお堂で、島田又五郎は、非業の死を遂げた両親の菩提を弔っていました。しかし、享禄4年(1531年)8月、台風でこのお堂が崩壊します。その後しばらく、再建もできなかったのですが、又五郎が力を尽くしてお堂を再建します。

再建されたお堂は「真木庵」と名付けられ、その後、寺号を「真木」から「真牧」へと改め、そして現在の「真牧寺」となりました。これが山号(山王山)と寺号(真牧寺)の由来です1

島田又五郎と武田信玄

『蒲郡史談』によると、この島田又五郎は、あの武田信玄の子孫にあたると言われています。

信玄の長男・義信は自刃しますが、その側室は妊娠したまま駿河に逃れ、そこで義信の子、すなわち信玄の孫である義玄(よしはる)を出産します。義玄は島田左近に育てられ、跡取りとなります。

しかし、桶狭間の戦いでの敗戦後、流浪の身となった義玄を助けたのが、同じ今川家臣だった小笠原喜三郎でした。喜三郎は三州牧山(現在の蒲郡市豊岡町)出身で、義玄をこの地へ招き入れます。

その後、義玄から5代目が、真牧寺を再建した島田又五郎利次と伝えられています。(図1参照)

寺院と地域の変遷

かつて真牧寺の境内にあった山王宮は、後に豊岡の八柱神社の東へ移転し、現在の日吉神社となりました。日吉神社の由緒にも「もとは字梶田に鎮座さられ山王宮と云う、今もその南に山王山真牧寺がある」と記されており、両者のつながりを示しています3

このように、真牧寺は地域の教育の中心としても重要な役割を担っていました。

  • 寺号 天王山 真牧寺
  • 本尊 阿弥陀如来
  • 宗派 浄土宗西山深草派
  • 創建 永正8年(1511年) 暢空秀智
  • 霊場

真牧寺の画像

地図・行き方

「日吉神社」愛知県神社名鑑 – 国立国会図書館

  1. 蒲郡史談 – 国立国会図書館
  2. 神社を中心としたる宝飯郡史 – 国立国会図書館[[/efn_note。

    また、明治6年(1873年)には、「牧山学校」が真牧寺の境内に開校しました。この学校は、後に「尋常牧山学校」「豊岡尋常小学校」と改名され、現在地の東部小学校へと引き継がれています2本校の歴史 – 蒲郡東部小学校

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