養円寺 – 三河七御堂全福寺の系譜

養円寺は、蒲郡市相楽町西川に位置する、宝国山を山号とする曹洞宗の寺院です。

三河七御堂と養円寺

養円寺は、天授元年(1375年)に天台宗の寺院として創建されました。元は、三河七御堂の一つである宝国山全福寺の僧院で、全福寺には養円寺を含む12もの僧院があったと伝えられています。これらの僧院があったことは、かつてこの地が仏教の一大拠点であったことを示しています。(*全福寺12僧院とは、養円、多福、真諦、普門、勢徳、観心、般若、慈雲、護持、松本、千手、中之院です。現在は、ここ養円寺と、豊橋市天伯町へ移転した勢徳寺の2寺のみです)

源頼朝と全福寺以前

養円寺の寺伝『宝国山記』によると、永暦元年(1160年)源頼朝が蛭が島(伊豆)へ配流される道中、この地の十一面観音に霊験があることを聞き、平穏を祈願しました。その後、征夷大将軍に任命されます。鎌倉へ戻る途中、赤坂で使いを立てて、「大塚」「山神」「丹野」の三つの地を寺領として寄進します。さらにその後、安達 盛長(あだち もりなが)に命じて建てたのが、天台宗の寺院、全福寺です。1 2 また、その時に鎮守社として熊野権現を建てます。

宝国山全福寺の歴史(『宝国山記』口語訳) – 蒲郡の旅

御堂山合戦

月日は流れ、この丹野の地を萩原芳信が治めることになります。芳信は、全幅寺を押領し、丹野城を築城します。ところが、そのわずか1年後の、文明2年(1470年)の御堂山合戦で丹野城は落城し、芳信も自刃します。全福寺は戦場となり、「塔堂は荒れてしまい、荒涼たる有様となった」のです。

鶴翁芳宿と養円寺再建

時代が下り文禄4年(1595年)、萩村(豊川市萩町)の龍源寺和尚・鶴翁芳宿老師が御堂山に、「等身の観音様が祀ってあり、末院らしいもの3か寺」を見つけます。そのひとつ、多福院に留まり養円寺を再興します。

鶴翁芳宿老師が慶長2年(1597年)記した『宝国山記』に以上のようなことが記されています。

歴史の時が流れる場所

ここ相楽は、超近代的な観光地「ラグーナ蒲郡」からほど近い場所でありながら、深山幽谷の雰囲気が漂う、時間の流れがゆっくりと感じられる場所です。

蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館

  • 寺号 宝国山養円寺
  • 本尊 釈迦牟尼如来坐像
  • 宗派 曹洞宗
  • 創建 文明4年(1595年) 鶴翁芳宿和尚
  • 霊場 穂の国三十三観音霊場 12番

養円寺の画像

養円寺のヒノキ

養円寺のヤマモモ

地図・行き方


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