不動院
不動院は、蒲郡市相楽町小畑ヶに位置する真言宗醍醐派の寺院です。正式には天神山多野殿不動院と称し、御堂山(みどうやま)街道沿いの眺望豊かな場所にあります。そして、境内にある池は、空の色を映して美しく、訪れる人々の心を和ませています。
美しい風景の中にも、いくつかの謎があります。その、天神山多野殿不動院の歴史と謎について考察してみました。
寺号「多野殿」の由来
山号寺号に含まれる「多野殿」の由来については、主に以下の2つの説が考えられます。
地名由来説
この地域はかつて「多野山神村」と呼ばれていました。慶長6年(1601年)に天領となった後、丹野村と山神村に分かれます。「多野殿」は、この古い地名「多野」が寺院名に残された名残である可能性があります。
人物由来説
戦国時代の有力者である波多野氏(はたのし)、特に波多野全慶(ぜんけい)など、特定の人名やその屋敷に由来するという説です。
開山時期の三つの説と経緯の考察
不動院の開山時期については、古文書や解説板によって三つの異なる時期が示されていて、歴史的な経緯を読み解く上で大きな疑問点となっています。
- 正平24年(1369年) 不動院公式ウェブサイト
- 慶長2年(1579年) 大塚・相楽ふるさと博物館の解説板
- 慶安2年(1649年) 『蒲郡史談』、『新訂三河国宝飯郡誌』
この開山をめぐる歴史の中で、不動院の開基(または開山)として、「山口權輔入道」(公式ウェブサイト)と「山口権助」(『蒲郡史談』)という二つの名前が登場しますが、表記が異なるものの、同一人物である可能性が極めて高いと考えられます。
『蒲郡史談』には、「西方の山口権助なる人(これは不道院の開基です)が御嶽を信じて、この山の姿が、いかにも神々しく神秘的で、行場としてふさわしいと思って」とあり、御嶽信仰(みたけしんこう)との関連が示唆されています。また、同書は「お山開き」を慶安2年(1649年)8月28日としています。
三つの時期が示す可能性
これらの事実と時期のズレを解消するため、「行場」「寺院としての開山」「正式な開基」という三段階で歴史が進行したという仮説を立てます。これにより、三つの時期の記録に筋道が通ります。
行場としての「開山」(1369年)
山口權輔が、御堂山周辺を「御嶽信仰の修験地(行場)」として初めて切り開いた時期。
寺院としての「開山」(1579年)
修験地から、本格的な寺院としてこの地に成立した時期。
三宝院末寺としての「開基」(1649年)
実如法印(じつにょほういん)が、真言宗の大本山である三宝院(醍醐寺)の末寺として寺院の体制を正式に確立した時期。
このように、それぞれの時期が寺院の歴史における異なる段階(行場の創始、寺院の創設、宗派の正式な末寺化)を示していると考えると、歴史記述の食い違いが解消され、不動院の成立経緯が一貫した物語として明らかになります。
そして、そんなことを考えながら散策するのも楽しい、文化財の宝庫相良、御堂山界隈です。

不動院の画像
- 寺号 天神山多野殿不動院
- 宗派 真言宗醍醐派
- 本尊 波切不動明王
- 創建 慶安2年(1649年) 実如法印
- 霊場 穂の国三十三か所観音霊場 11番札所
観世音菩薩立像は、像高100センチを超す大きいもので、平安時代の作と言われます。
地図・行き方
参考文献
- 大塚・相良ふるさと博物館編集委員 編『大塚・相良ふるさと博物館 資料集』.平成11年発行.





