膳塚 – 貧困と村社会で生きる
膳塚は、妙厳寺の裏にある駐車場入口の線路沿い、雌竹群生地の中に位置しています。標柱や案内板がないため場所の特定は困難ですが、『愛知県伝説集 増補』には、「妙厳寺の裏、桑畑の中に、一団の雌竹が群生している小高い場所がある。これが膳塚」という記述が残されています。
ここは、鹿末(しかすえ)地域に残る膳塚伝説に登場する、庄九郎を弔った場所だと伝えられています。
膳塚と貧困と村社会
膳塚伝説を要約すると、昔、鹿末には庄九郎(貧しい百姓)と三太夫(豊かな百姓)という二人の百姓がいました。大人になるにつれて、かつて仲の良かった二人には経済的な格差が生じます。
貧しい庄九郎は豊かな三太夫から金を借りますが、返済できません。そこで三太夫は、庄九郎が大切にしていた蒔絵の膳を借金の形(かた)として取り上げてしまいます。
庄九郎はそのことを苦に悩み、やがて亡くなります。彼を哀れんだ村人たちは、妙厳寺の裏に彼を埋葬し、塚を築いて弔いました。その後、この塚に「膳を貸してください」と願をかけると、本当に膳が出てきた、という不思議な話が残っています。
しかし、この話には続きがあり、次の3つの結末パターンがあります。
- 膳を借りて無事に返す(このまま伝説が終わる)。
- 膳を壊したまま、または壊して返さない。
- 壊れたままの膳を返す。
パターン2や3の場合、二度と膳は出てこなくなり、塚の力は失われます。
膳塚伝説が示唆するもの
『膳塚:愛知のむかし話』には、「人間はとにかく人をだましたり、人からけちだと言われるくらいにしないと、お金持ちになれないものです。」という辛辣な教訓が添えられています。確かに、この伝説は単なるおとぎ話ではなく、貧富の差による人間の心理描写が巧みであり、大人が読むべき物語だと感じます。
それにつけても、善悪や格差の問題以前に、膳塚や椀塚といった話が生まれるほどの極端な貧困がかつて存在したことに思いを致さざるを得ません。
そして、この「膳」を単なる器ではなく、世間や村での人間関係の象徴と捉えるなら、村社会の厳しさと、その中で生きる人の無力さを考えさせられます。
そうした深い思いとともに、この膳塚への小さな旅は、どこか切ない余韻を残すものでした。

膳塚の画像


