三界萬霊塔(形原町石橋)
三界萬霊塔(形原町石橋)は、真如寺へと続く道沿いにあります。それには「有無両縁三界萬霊 南無阿弥陀仏」と刻まれています。「有無両縁三界萬霊」は「うむりゅうえん さんがいばんれい」と読むそうです。そして「有無両縁三界萬霊」については、以下のように要約できます。
これらをまとめると、「有無両縁三界萬霊」は、「この世の形あるものも形ないものも、そして三界(すべての世界)に存在するありとあらゆる魂や霊も、すべてが互いに深い縁でつながっている」という意味になります。
そのため、私たち人間だけでなく、動物、植物、さらには目に見えない存在に至るまで、すべての生命、すべての存在に対して感謝や供養の心を持つべきだ、という仏教の教えが込められています。お盆の時期などに、先祖だけでなく、縁のあったすべての命を供養する際に使われることが多い言葉です。
三界萬霊塔(形原町石橋)には「明治三十三年三月」の日付が見えます。明治維新は「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」(司馬遼太郎『坂上の雲』)時代でした。明治33年(1900)は、開花期の混乱そして日清戦争(1894-1895年)から5年後のことです。おそらく、この地域からも戦没者がでたことでしょう。また、この場所から出征した人もいたのではないでしょうか。そして、日露戦争(1904-1905)へとむかう時代でもありました。少し考える余裕も生まれた間の時代だったのかもしれません。
結局、建立した「山本宇太」という人がどういう人なのかも探し出せませんでした。この三界萬霊塔がどういった目的のものなのかも不明です。がしかし、どうしても戦争と結びつけて考えてしまいます。
散策中にふと足を止められたのも何かの縁だったのでしょうか。そして、広島、長崎、敗戦、お盆、という時期もあり、その何かが語りかけてきたのかもなあ、と考えた三界萬霊塔でした。

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