三浦万太郎の像 – 形原町
2025年10月6日
三浦万太郎(みうらまんたろう)の像は、形原町三浦町の県道322号線沿いに建っています。像のある三浦町という地名そのものが、万太郎氏の功績に由来するものです。
この像の碑文には、彼の偉業が次のように記されています。
面積一萬三千八百二十七坪九合五勺ノ海面埋立ヲ昭和四年三月十四日竣功セシメ地名ヲ三浦町ト名付ケ之ガ縦横道路ヲ町ニ無償寄付シ其ノ余スヲ宅地トナスニ至リ依テ茲ニ漁業ハ延ビ工業ハ起コリテ皆地ノ徳ニ浴ス
万太郎氏が現在の三浦町の海岸を埋め立て、約13,828坪(約45,710平方メートル)もの広大な土地を造成し、その地を三浦町と名付けたことが読み取れます。この埋め立て事業は、「漁業は延び工業は起こり」と記されているように、現在の形原の発展の礎となったと言えるでしょう。
万太郎夫妻の医療への貢献
埋め立て事業に先立ち、三浦万太郎氏は蒲郡海浜病院を開業しています。現在の蒲郡厚生館病院の場所で、万太郎氏が眼科、妻の三浦こう氏が産婦人科、弟の三浦政夫氏が内科を担当する総合病院でした。当時の資料には、「三河湾を一望の中に収め桂絶絵の如くまことに避寒避暑転地療養の最適所」とあり、その立地の良さがうかがえます。
特に注目すべきは、妻の三浦こう氏です。彼女は東三河の公認女医第1号であり、浜松の内田みつ、東京の吉岡彌生(よしおかやよい)とともに、「三女医三女傑」と称されたほどの功績を残しています。
三浦 こう(みうら こう) 東三河の公認女医第1号
蒲郡 – 国立国会図書館デジタルコレクション

三浦万太郎の像の画像


