竹谷松平四代の五輪塔 – 月輪墓地
竹谷松平四代の五輪塔は、竹谷町月田の月輪墓地にあります。竹谷松平家の墓所は、この月輪墓地と天桂院にあり、月輪墓地には竹谷松平始祖守家から 四代清善までの五輪塔があります。そして天桂院には、4代清善から22代目の清徹までの墓碑が並びます。
また、竹谷松平家の菩提寺も天桂院と全保寺になっています。
竹谷松平四代の五輪塔と龍台院
『寛政重脩諸家譜』1によれば、守家は「文亀三年竹谷にをいて死す。竹谷の西の岳に葬る。守親のとき永正九年其地の北に一宇を建て龍台院と称し、のち清宗に至るまで葬地とす。」とあります。
竹谷松平初代当主家守の埋葬地が「竹谷の西の岳」、「其地の北に」龍台院という寺を建ては、この墓地と全保寺の地理的関係です。そして、5代清宗に至るまで葬地としました。
その理由は、5代清宗の時に、竹谷松平家が関東移封になります。当時は、領地の移動とともに、寺院(神社)も移転していました。『寛政重脩諸家譜』に見られる「寺をうつすごとに代々の墳墓を改装す」です。
全保寺と天桂院
武蔵国八幡山に移封になった清宗は、その地に新たに龍台院を建てます。さらに、移封の途中に亡くなった、妻「おきんの方」を弔うために「天桂院」も創建します。
そして、竹谷の龍台院跡には寺の建物が残りました。そこが全保寺になりました。「全保」は清宗の父清善の法号です。
関東移封後、吉田城3万石の城主として再度移封になります。そのさいも、2つの寺院もまた移転しました。そしてさらに、竹谷の地頭として5000石で移封になります。2つの寺院は「龍台山天桂院」となり戻ってきました。
初代家守から、4代清善が廟所がここにあり、4代清善以降の歴代当主の廟所が天桂院にある理由です。
竹谷松平家五輪塔の画像






五輪塔は右から全祐(松平守家)全孝(松平守親)全長(松平親善)全保(松平清善)と並んでいます。墓誌(墓碣)には「旧所存碑星霜…天桂院」と刻まれているのが一部分かります。なお、この竹谷松平四代の五輪塔は、蒲郡市の指定有形文化財になっています。
以下、解説板の書き起こしです。
市指定有形文化財(建造物)
竹ノ谷松平四代の五輪塔
竹ノ谷松平氏は松平庶流家の中でも筆頭にあげられる家で、その祖を信光の長男守家とし代々竹ノ谷に居を構えていた。
この五輪塔は高さ四十五センチで初代守家、二代守親、三代親善、四代清善のものである。
初代守家は天文十七年(一五四八年)竹ノ谷城を築いた人で、守親、守善は今川方に属したり、松平清康についたり時の流れに従うを保身の術として領地の経営にあたった。
四代清善は、はじめ今川方に属し人質を差出していたが、永禄三年(一五六〇年)五月今川義元が桶狭間にたおれた後松平宗家に従ったので今川氏真は竹ノ谷松平氏などの人質を吉田城外龍拈寺口で殺している。
二年後の永禄五年(一五六二年)二月、上ノ郷城攻めの軍功で、家康から千貫の土地を与えられた。
昭和三十二年一月十日指定
蒲郡市教育委員会