大巌神社 – 拾石神社との関係
大巌神社は、愛知県蒲郡市拾石町向イにある素盞嗚神社(拾石神社)の境内社です。この神社の裏には、「雨乞巌(あまごいいわお)」と呼ばれる大きな岩があります。
拾石神社の縁起によれば、この岩は大昔、拾石神社の主祭神でした。「素盞嗚命(すさのおのみこと)を祀った際、原始信仰の大巌神様は、生殖の力を象徴する女陰であったが、巨石崇拝と結びつき大巌神と名前を変え、拾石神社の末社(本社に付属する小規模な神社)に降格された」という説が伝えられています。
雨乞いと信仰の変遷
寛永年間(1624年〜1643年)に大干魃(かんばつ)が起きた際、古くからの言い伝えに従い、人々は酒と餅でこの岩を洗って雨乞いを行いました。すると、堤防が決壊し田畑が荒れるほどの大雨が降ったといいます。この出来事以来、岩を洗うことは禁止されました。
しかし、それから約200年後の寛永5年(1852年)に再び大干魃が発生した際、村人たちは再び岩を洗って雨乞いを試みました。ところが、まったくご利益(りやく)がなく、雨は降りませんでした。
困り果てていると、ある村人が神様からの夢のお告げを見ます。それは「以前は神の意思に背いて怒りを買ってしまった。今回は信心深く、神の教えを守って行うべきだ」という内容でした。そこで、村人たちは総代14人を選出し、3夜3日にわたり祈願したところ、ようやく雨が降ったと伝えられています。
地域に根付く信仰
この周辺は、古くから水不足に悩まされてきた地域であり、雨乞いや水弘法といった水にまつわる信仰や伝説が多く残されています。
また、この大巌の他にも、柏原の聖岩(お皿様)や岩上神社の岩神様など、性器崇拝(性神信仰)の対象とされてきた岩や場所が地域に残されています。
この事実は、古代からこの地域に人々が定住し、独自の文化と信仰が深く根付いていたことの証拠です。そして、この大巌神社が立つ宮山全体が、地域の人々の信仰心のよりどころとなる神聖な場所(神域)だったことがうかがえます。
- 御祭神 水速女命
- 例祭日 4月
大巌神社の画像






雨乞巌が「女陰」なので、社殿前は「男根神」だと思われます。
地図・行き方
以下、境内にある「拾石神社縁起」の碑文の書き起こしです。
石碑全文 末社 大巌神社 祭神 水速女命
吉祥女窟古い昔より素盞嗚神社の傍らに雨乞巖という大きな岩がある。柏原村の聖岩神と共に性器崇拝の信仰遺跡であって発祥は数千年の大昔にさかのぼると伝えられる。大昔は捨石神社の本祭りであったが、時代が下って素盞嗚命を奉斎した時、原始信仰の大巖神社様は、本来生む力の女陰であり巨石崇拝と習合して大巖神になりさがり、捨石神社の末社に落とされたという説がある。
この岩に「大巖雨師命と称え奉る」とあり、寛永年間(一六二四〜一六四三)の大旱魃は厳しく五穀は枯死寸前となった時、昔からの言い伝えによって酒と餅で岩を洗って雨乞の祈祷をしたところ、大雷雨になって堤防は破壊し田畑は荒廃した。それ以後この岩を洗うことを禁止したという。
二百余年後の、寛永五年(一八五二)の大旱魃の時村人は協議のうえ、この岩を洗うことを決議して五夜五日・三夜三日・一夜一日の宮籠りして祈願したが一向に霊験がなかった。そんなある夜村人の夢のお告げに「当時は神慮に背き神の怒りをこうむりたり、故に此の度は信心を凝らし神勅を守り之を行うべし」と、そこで総代十四人を選び三夜三日、日を異にし、斉戒沐浴して祈願した。不思議なことに一点の雲のない空に雨意を起し忽ち白雨盆を覆すような雨が降り山川草本の総てが生気に満ちてその年は豊作であったという。以後大巌神の神徳を称え毎年四月に祭典を行っている。
『塩津村誌』平成十年四月一日発行より抜粋
