全保寺 – 龍台院の始まりの地

全保寺は、蒲郡市竹谷町作間、竹ノ谷城のすぐ北西の山裾に位置する曹洞宗の寺院です。山号は金海山。

龍台院の創建と竹谷からの移転

その起源は、竹ノ谷城初代城主・松平守家(まつだいら もりいえ)の菩提を弔うため、2代守親が永正15年(1518年)に創建した寺院にあります。守親は、父・守家の法号「龍台院殿天運全祐」から一字を取り、寺号を「龍台院」としました。

しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐後、徳川家康が関東へ移封されるのに伴い、竹谷松平家も家康に従って、武州八幡山(現在の埼玉県本庄市)へ移動します。このとき、人の移動だけでなく、菩提寺である龍台院もそのまま移転したと伝えられています。

龍台院から全栄寺

八幡山に移った6代松平家清は、その地で新たに「龍台院」と「天桂院」の二つの寺を創建します。特に天桂院は、八幡山移封の途中に亡くなった家清の妻「おきんの方」の法号を寺号としたものです。

その後、慶長6年(1601年)に家清は吉田城(豊橋市)へ転封となります。そして二つの寺も吉田へ移転します。慶長10年(1605年)清宗が亡くなると、その法号「龍興院殿華翁全栄」から寺号を「華翁山全栄寺」にあらためました。

慶長15年(1610年)に家清が45歳で死去し、さらに2年後に7代忠清も早世すると、竹谷松平家は一時的に後継ぎが途絶える(無嗣断絶)危機を迎えます。

竹谷への帰還と龍台山天桂院

しかし、竹谷松平家は名跡ということもあり、忠清の弟である松平清昌が旗本として西の郡5,000石に封じられ、存続が認められます。そして、慶長17年(1612年)に竹谷の地へ帰還を果たします。この帰郷の際にも、再び寺院も共に戻ることになります。

竹谷に戻るにあたり二つの寺院は合併し、「龍台山天桂院」となりました。そして竹谷松平家の菩提寺として、4代清善以降の歴代当主の廟所となっています。

竹谷松平家略系図
竹谷松平家略系図

全保寺の成立

一方、松平家と龍台院が移動したあとも、龍台院があった場所には、建物はそのまま残されました。残された寺が、竹ノ谷城で亡くなった最後の城主、4代松平清善(関東移封の3年前、天正15年(1587年)没)の法号「自得院殿祐山全保」にちなんで「全保寺」となりました。(なお、埼玉県本庄市の全保山龍台院もあります)

現在、全保寺の近くにある月輪墓地には、初代守家から4代清善までの城主の廟所が残されており、全保寺もまた竹谷松平家の歴史を伝える大切な菩提寺の一つとなっています。竹谷松平四代の五輪塔 – 月輪墓地

  • 寺号 金海山 全保寺
  • 本尊
  • 宗派 曹洞宗
  • 創建 永正15年(1518年)松平守親

全保寺の画像

地図・行き方

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