遍路の終わり 生々死々去々来々転々(44日の3) 2008年12月1日 四国遍路 迷故三界城 無上甚深微妙法 百千万却難遭遇 我今見聞得受待 願解如来真実義 開経偈だ。そしてその現代語訳は以下の通りなあのだけれど…。 最高にして深遠な(仏陀の説かれた)真理には、どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難[…] 続きを読む
遍路とは(44日の2) 2008年12月1日 四国遍路 迷故三界城 早朝6時に一番札所霊山寺に着いたボクは、近くにあるローソンに向かった。高速バスで鳴門PAにある鳴門西バス的から難波まで行き、それから南海電鉄高野線で極楽寺駅まで、そこから高野山までケーブルカーで行く予定にした。それは早朝[…] 続きを読む
そして一番霊山寺へ(44日の1) 2008年12月1日 四国遍路 迷故三界城 上板スポーツ公園3塁側ベンチの夜は、12月、初冬の冷え込みだった。mont-bellのULアルパインダウンハハガー#3でも寒いくらいだった。使い捨てカイロを足元に入れた。シュラフカバーは結露するので出来るだけ使わないよう[…] 続きを読む
最後の夜、ボクとの出逢い(43日目の5) 2008年11月30日 四国遍路 迷故三界城 夜がまたきた。いつも通りだった。ボクの中の何かが変わっていたということもなかった。奇跡はそう簡単には起こらない。覚醒するなんてこともなかった。まったく同じことが繰り返されていた。そして目の前の風景も同じだった。 県道12[…] 続きを読む
結願のあと、徳島へ(43日目の4) 2008年11月30日 四国遍路 迷故三界城 10時30分に出発した。 八十八番札所大窪寺を打ち終えた、というか四国遍路を結願したボクは、一番札所霊山寺にお礼参りに行き、それから高野山に参詣して巡礼を終えようと思っていた。そういう意味では、まだ終わってはいなかった。[…] 続きを読む
十善戒(43日目の3) 2008年11月30日 四国遍路 迷故三界城 大師堂での納経が終わり宝杖堂や原爆の火に手を合わせてから納経所に向かった。 4人組の遍路が墨書朱印の順番を待っていた。その後ろに並んだ。大窪寺では四国遍路を打ち終えたという証明書「結願証明」を発行している。確か2000円[…] 続きを読む
女体山、母なる山で(43日目の1) 2008年11月30日 四国遍路 迷故三界城 道の駅ながお、売店裏の軒下、最後の日のねぐらで5時少し過ぎに目がさめた。朝の気配はしていなかった。山間は海辺よりも朝が遅いようにも感じていた。日の出や日照時間というよりも、なにかゆっくりとした始まりをいつも感じていた。 […] 続きを読む
道の駅ながおで野宿(42日目の3) 2008年11月29日 四国遍路 迷故三界城 14時55分に長尾寺を出発し、県道3号線鴨部川沿いの坂道を歩いていた。ここから大窪寺へのいくつかルートがあるが、大きく別けて2つ、女体山越えと国道377号線で登るルートだ。この女体山越えが、それまでのどのへんろ転がしにも[…] 続きを読む