公共ですか?
終日蟄居。
「タクシーは公共交通なんですかねえ」なんて聞かれたもんだから、少し考えてから「う~ん、公共の道路を無料で使って商売している交通機関かもしれないね」なんて答えた。おとといの夜の話だ。
「道路は確かに公共のものだよね。いつでも誰でもどこにいても利用できるし」
「電車とかバスも・・・」
「まあ、公共のニオイはするけれど、電気とか電波なんてものよりは公共性が少ないように思うけれど」
「確かに電車もバスもない地域もありますしね」
「そうそう。タクシーも、例えば深夜やっていない地域もあるし、電話で呼んでも断られる場所だってあるだろうし」
「確かに電気がないとか、電話が通じないとか、道路がない、NHKを見ることができない、なんて場所や地域はない・・・」
「それが公共ってことじゃないの?」
「そうかも」
「そうすると、タクシーなんてのは公共とはほど遠いように感じる」
公共交通機関なんて言っているけれど、実はただの交通機関ではないかと思う。岩盤規制のもと、国家が管理しているから公共ってこともないだろうし・・・。
やはり公共の道路を無料で使って商売している交通機関というのがタクシーなんだろう。
タクシーは公共交通ですか?
公共?じゃないよね?
露天商、かもしれない。ショバ代は、国家組織に払っているのか。なんて考えると露天商の人たちも公共のニオイがしはじめた。夜の繁華街、並んでいるタクシーが、立ち並ぶ夜店と似てなくもない・・・。
タクシーが公共交通機関というならば、指定されている(営業が許可されている)区域内はどこにでもお迎えにいかなければならない、そういうことにならないのか?
タクシーがあるために、公共交通空白地域における交通弱者を救うことができず、さらに孤立・無縁化させてしまっている。そして自治体も無駄な予算を、コミュニティバスやオンデマンドタクシーなんていう、公共性を無理やり付けたタクシー会社委託業務にたいして使っている。そう考えると、京丹後市の試みこそ正しいのだろう。そしてその試みは、交通空白地域を救済だけではなく、今後の公共交通機関のありかたについて、今のタクシー業界よりはかなり期待できると思う。
UberEatsが始まって、いよいよボクたちはUberなしでは生きられないようになる、予感。そうそうGoogleやAmazonのようにね。となると、ただ反対しているタクシー業界ってのが、消費者にとって邪魔になるってこと。そこを考えないと業界に未来はないと思う。