「24時間テレビ」雑感

「愛は地球を救う」

「あ、24時間(twenty four なんて言ったりしていたんだけれど)」ボクは、あのアフリカの、いつ来るか分からないバスを待っている永遠の時に、走り抜けて行く24時間テレビのロゴの入ったのランドクルーザーを見て声をあげ、手を振った。

あの頃、まだNGOなんて言葉が真新しい頃、アフリカの奥地にも24時間テレビのランクルは走っていて、国家とは離れたところでボランティア活動をしている人がいた。エチオピア大飢饉の時、激化する内戦、命がけの活動だったに違いない。30年なんて前の話だ。

それほど昔から、24時間テレビはアジアやアフリカで救援活動を行ってきた。

今年も24時間テレビがあって、そうしてまた今年も賛否両論、いろいろな議論が交わされいる。ギャラ問題や、障がい者ポルノ、偽善・・・。

ただ、そうした議論の中で、ボクたちはボクたちがやらなければいけないこと、あるいは、やってはいけないこと、を学ぶ。だとすると、24時間テレビはそういった問題を考える日になっている、ように思う。多くの人が感動し涙する。そうしてまた多くの人が怒り嘆く。それは決して悪いことではなくて、良いことなのだろう。そしてどうやったら「地球を救う」ことができるの

か、あるいはできないのか、考える。それが大切なのだろうと思う。
そんな議論を読みながら、ボクは杉良太郎さんがボランティア活動の時に言われた「ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々もぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ」という言葉を思い出した。

たぶん、愛は地球を救う。その愛は隣人だけではなくて自己愛だとしても、結局は誰かを救うことになる。そう思うのだ。

24時間テレビの日は、愛を考える日にして国民の祝日にしても良いと思う。できれば毎年8月30日から31日にかけて放映してもらいたいと思う。そうすれば、きっと、少しはいじめなんてものもなくなって、子供たちが元気に学校に行けるようになれるかもしれないと、思ったりもする。

あの永遠の大地で、24時間のロゴにボクは救われた。国旗と同じぐらいに。確かにボクは救われたのだ。

トマトのぬか漬け
トマトはね、ぬか漬けにすると美味しいって知ってた?

2件のコメント

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    さといもさん、どうも。
    すこし考えたのだけれど、パラリンピックってのも、ボクはあまり見ないんだけれど・・・。
    あれはあれでショーではなくて、スポーツだから・・・。
    まあ、確かにボクなんかよりは健康的に一生懸命生きているのは確かなんだけれど・・・。
    と、きちんと言えないこと自体、差別なのかなあ、なんて思ったりもします。

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    こんばんは。
    ギャラ
    募金から支払われているわけではないのでそこまで問題だとは思わないが趣旨を考えるとあまりに高額なのはちょっと。
    チャリティーやボランティアを無報酬でないといけないと思っている方は多いですね。
    それでも交通費と食事といった最低限のものは出さないとさすがにどうかと。
    障害者の取り上げ方
    本人が率先して出ているのならいいのだけど全てがそうではないと思う。
    存在自体を徹底的に隠す、逆に見世物にして金儲けや売名などに利用する、どっちもどっち。
    障害(者)を笑いのネタにするような演出には個人的に嫌悪感があります。
    偽善
    募金自体が目的通りに使われているのであれば個人的には問題なし。
    24時間テレビではないですが一部半強制的に徴収するような募金のやり方には問題あると思う。最低幾らとか設定されたり。
    障害者や災害復興などといった事を徹底的に取り上げたいのならバラエティや歌謡ショウといった要素は極力なくしたほうがいいのでしょうがあまり堅苦しい内容だとアレだからある程度は必要なのかもしれません。

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