あの頃の夏

あの頃、ボクたちの若い頃と言ったら、車は必需品だった。そんな話をした。

「昨日はクルマの中で寝た あの娘と手をつないで」(スローバラード 清志郎)だったり、「二人して流星になったみたい」(中央フリーウェイ 松任谷由実)とか、「真夜中のドライブ・イン 昔のように急いで迎えに行くよ」(愛という名のもとに 浜田省吾)、なんて愛と車が同居していた時代だった。

ボク(たち)は、そんな詩に感化され、というよりも、今のように個が確立されていなかった時代だったので(例えば個室なんてものがなかった時代、いやそれ以上に、まだ「男女七歳にして席を同じくせず」のような思想が残っていた時代だったし、個室と言えばクルマかラブホか海岸ぐらいなもんだった(だからチャコの海岸物語なんて詩ができるのだ))、大人(清志郎とかユーミンとか浜省みたいな)になりたいと思っていたボクたちはとにかくクルマを必要とした。

欲望=クルマ、の時代だったのだ。

クルマという個室を必要としなくなった、というのが、若者のクルマ離れの原因なんだろう。今は、例えば、LINEやネットや電話で、ボクたちは席を同じくできる。個の、秘密の空間が存在する。クルマなんてものよりも、もっと気軽にボクたちは密室を持てる時代なのだ。

あの頃、ボクは60分テープ(録音テープだよ)とかに、好きな音楽を録音した。録音テープがどうしても余るので、分解してその5分とか10分なんて空白の部分を鋏で切って繋いだ。そんな作業も楽しかった。今のように簡単に早送りとか選曲なんて出来ない時代だったのだけれど、その分、趣味とか嗜好、あるいは思想なんてものが一本のテープに集約され存在した時代だった。そしてそれをクルマという個室で共有する時代だった。

「ねえねえK、流星になったみたい、ってどんなんだろうね」
「どんなんって、きっと・・・」
「きっと?」
「きっとね、テールランプがね、涙でかすんで流れるって感じじゃないの」
「なんで泣いてるの?」
「きっと、ずっと一緒にいたいから・・・」
「ふ~ん」
「でもね、こんなスピードじゃなくて、フリーウェイの100キロとかだよ」
「じゃあ、ここじゃ無理だね、流星」
「あほ」
「ばか」

なんてなんて・・・。

そんなことを考えながら、ボクは伊勢湾岸フリーウェイにいた。刈谷オアシスパーキングエリア直前だった。昨夜のことだ。

その時ボクはローレルに乗っていて、それはずいぶんと無理をしてローンで買ったものだったのだけれど、高速道路が近くになくて、流星になるのに苦労をした。結局、なれなかったのだけれど、「中央高速じゃないとダメなんだよ」なんて言い訳をして・・・。

昨夜、なんとなくだけれど、刈谷オアシスの手前で流星になれたように感じた。きっと、きっと、風景がにじんでいたからだろう。あの頃の夏、ボクはなにも変わってはいない。相変わらず「ばか」で、キチンと生きていない。そうして獏のように過去ばかりを食べて生きている。

伊勢湾岸 刈谷オアシス直前
伊勢湾岸道路 刈谷オアシス直前
中央丸い(ような感じ)が観覧車。

2件のコメント

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    のなさん、こんばんは。
    確かにみんなピカピカにしていますね。まだ乗れるのに、なんて車でも買い替えたり・・・。県民性かもしれないですね。
    ボクの界隈、タクシー業界ではそうではないようにも思いますが・・・。
    車は持っていませんよ。乗る時はレンタカーかカーシェアリングです。使用だと、まあ、それぐらいの利用頻度なので・・・。
    刈谷、通り過ぎただけなのですが・・・。一度あの観覧車に乗ってみたいもんだと思っています。

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     こんにちは。現代では「欲望=車」ではなくなっているのかなぁ。確かに、ネットやLINEなど、他の道具がありますものね…。脱線しますが、元横浜在住の方が、「愛知は車をピカピカにしてるね。向こうは、結構ボロボロになるまで乗ってるよ。」と仰ってました。近所でも、結構、ベンツだの外車を乗ってる方が、少なくないです。車はステータスと思ってるかは分かりませんが、いい車に乗る傾向はあると思います。それか、「生活の足」と割り切ってるか…。刈谷の方に来られてたんですね。余計なお世話ですが、田原笠山さんは、車、持ってたんですか?つまらない事聞いて、すみません。まだまだ暑いです。お体。ご自愛下さいませ。

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