あげまん考

「あげまん、とか、さげまん、とかあるよね」
と言ったら
「えっ?」
なんて少し驚いていた。

日曜日、それも雨、そんな真夜中はきまって暇だったりする。

「福女、なんて言ったほうが良いかもなあ。その人と付き合うと運気が上がる、そんな女性を『あげまん』なんて言わない?」
「ああ、言いますね。そんな映画もあったような」
「伊丹十三監督の」
「そうそう」
「あげまん」
「その反対の女性を『さげまん』」
「関わりあうと不幸になる・・・。」

そんな風にGさんと話していた。

「運気が上がらなくても、というか、出世とかお金持ちにならなくてもいいから、その女性といると、やわらかい気持ちになれる、そのほうが良いかなあ」
「たしかにそれが一番かもしれないですね。しあわせな気分になれる女性」
「そうそう、贅沢も言わなければ、欲もなく・・・。」
「少年の頃の恋の続きみたいな・・・」
「いつまでも友人のような¥・・・」
「いつまでも恋人のような・・・」
「そうそう」
「そうそう」

吉田拓郎さんのうたに「女はいつも二通りさ、男を縛る強い女と、男にすがる弱虫と、きみは両方だったよね」というのがあるのだけれど、二通りではなくて、その両方を持っている女性と、両方とも持っていない女性もいて、誰が「あげまん」かというと、きっと、女性だけで上げ下げするのではなくて、男性との組み合わせによるものだろうと思う。組み合わせによる「あげさげ」。

ボクの場合は、その「柔らかい気持ち」が幸せなんだから、縛られてもすがられても困ってしまい、きっと逃げ出したくなるに決まっている。いろいろ求められても、それはボクにとっては不幸なことなのかもしれないし・・・。

「ブランドよりは、例えばユニクロとかセシールが似合う女性が好きだったりするんだけれど」
「ああ、それって田原さんらしいですね。安まん?」
「違うって、成り上がり的なブランド主義みたいなものが嫌いなの。というか、似合うものを着る、とか、自分の分を分かっているというか、清楚というか、無垢というか・・・」
「ふ〜ん、そんな女性いますかねえ?」
「いる」
「どこに?」

ボクはホッチキスのことを考えて、そんな話をしていた。

「でも、田原さんて、ブランド志向ですよね」
「ええっ?まあ、ユニクロは嫌いだし、セシールは買わないけれど・・・」
「ふ〜ん」
「なんだよ」
「もしかして、さげちん?」
「ええ、なんだよ〜」
「だって、女性のことばかり言って、男だって、付き合う女性の運気を下げる人も、上げるひともいるに決まってるじゃないですか」
「う〜ん」
「これまでに付き合った女性って幸せになっていますか?」
「どうなんだろう、幸せじゃないかも?」
「やぱり」
「なんだよ」
「さげちん」
「違うって」
「さげ金?」
「なんだよ、それ」
「なんとなく、贅沢そうで・・・」
「それも違うって」

きっと、自分じゃなくて、お付き合いする相手の人の幸せを願うことのほうが大切なのかもしれない、そう考えていた。

「あげちんでいたいもんだね」
「きっとあげちんですよ」
「なんで?」
「不幸のにおいがしないし・・・」
「そんなにおいがあるの?」
「ある」
「ふ〜ん、あげ口だね」
「なんですか?」
「運気を上げるコトバ、ってこと」
「上げ鼻とか、あげ耳とか、あげ手、とか、あげ足・・・はあるか」

「まあ、とにかくだ、あげちんあげまんでいたいもんだね」
「そうですね、ついでに『賃上げ』もあるといいですね」
「そっちか、まあ、一気に万にはならないと思うけれど」
「そろそろあげ棒だし」
「あ、もう下ばかりだね。今年はさげ棒かも」
「棒は下がっても金付きで・・・」
「はあ〜」

天秤ばかり

2006年10月16日 田原にて

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