ネプチューン海山師と音のでない笛
メイ先生が「ネプチューン海山さん、知ってる」なんてことからいただいた海山師の色紙に「Say it with music!」って書いていたんだ。メイ先生と海山師はどうやら知り合いらしくて、色紙をいただいたことよりも、そのことのほうがボクを驚かせた。
「知ってる知ってる」
「じゃあ、会ってみる?」
「えっと、それは」
「そっか、じゃあ、色紙とかもらってあげるね」
なんてことをボクたちは話した。会って話すほど、そのころのボクは笛もうまくなかったし、詳しくもなかった。それに、人見知りだったしね。
結局、これまで、コトバを使っても、うまくボク自身を表現できたことがなかったのだけれど、それに表現しようとすればするほど全く違ったボクになってしまってゆく、なんてことのほうが多くて、どうしても、どうしてか、黙り込んでしまっている。というか、たぶん、みんなも知っているのだろうけれど、人間の発するもの、例えばコトバが最たるもんだけれど、それは他人にとっては、時として、気持ち悪いものになる。
うまく言えないのだけれど、どれほど黙っていられるか、というか、「間」でコミュニケーションをすることができるか、というか、コトバを必要としない世界の住人でいたい、なんて思ったりする。そうして、どこかでかすかに遠くから聞こえる音色の、その人になりたいと思ったりしている。
20代のボクも、そう思っていた。
きっと、ずっとずっと独りでいたかったのだろうと思う。
そうしてタクシーという、まるで棺桶を想起できる箱の中で、一瞬の世間との接触を、その瞬間を幽霊のように過ごすことを選んだのだのだ。
人は人にしか傷つけられない。それがすべてだ。それが愛や家族や集団や国家、法の始まりなのだ。そういったものをいくら造りだしたとしても、やはり、人は人に傷つけられる。
深夜、ボクはエンジンの音と風を切り裂く音だけの中にいる。ガラス越しの世界はまるで水中のようだ。流れゆく風景の中に人影が枯草のように揺れる。「ありがとうございます」「どちらまでですか」「はい、かしこまりました」。なんて呪文だけを唱えていればいい。ボクは無口でいる。
Say it with・・・・・・。
もしかして、その必要さへないのではないかと思っているんだよ。
ネプチューン海山師の色紙「say it with music!」