花に嵐、春は哀し

「今年は花見に行った?」
「うん、まあ」
「うん、まあって、元気ないね」
「うん、まあ」
「重症だね」
「・・・・・・」
「そっちも雨降ってる?」
「うん、まあ、降ってる」
「まあ、いろいろあるだろうけれど、元気出さないとね」
「うん、悪いね、こっちから電話かけたのにさ・・・」

なんとなく、というか、雨のせいなのか、誰かと話したくなって・・・。こんなときに、もう少し若ければ、キッパリと誰かに甘えてしまうんだろうけれど・・・。もうオジサンになってしまっては、少しだけ強がって生きなければならなかったり・・・。お酒を飲んでもキチンと酔えなかったりするのも、きっとオジサンになってしまったからなんだろうと・・・思った。

春は哀し。

「それは良いんだけれど、それに暇だしね。雨だしね。少し気にもなっていたところだし」
「少しかあ、まあ、でも、ちょっとだけうれしかったりするかなあ。暇で雨でも・・・」

なんとなく、というか、雨のせいなのか、昔の仲間とか昔の恋人とか、ボクをキチンと知っている人たちと話したくなって・・・。もう少し若ければ、というよりも、こんなボクの性格がダメなんだろう、やっぱりキッパリと頼れないでいる。気持ちも身体もあずけるということが苦手だったり、どこかで壁をつくったり・・・する。

春は哀し。

「アパートの近くのね、小さな公園、あすこの桜も大きくなってね、今年なんかその下で花見している人が出てきてね」
「うん、あんなに小さい木だったのにね」
「うんうん、きっと枯れるよ、なんて言ってたもんね。誰かがこっそり植えたって感じだったしね」
「うん、植えていいのかって」
「たまに水やってたからさ」
「うん、オレも」
「育つもんだってね」
「うん、ひとりぼっちでね」
「ひとりじゃないよ、たぶん、みんなが水やってたに決まってる。それに、毎日ね、見てたもん」

雨が降っていて、そしてカーテンも閉め切った部屋は、春とは無縁だったけれど、シッカリと左耳に押し付けたスマホ越しに、桜が咲いていて、風に舞う花びらの音と、柔らかい日差しと、草の香と、そうしてオモイデが・・・ボクの身体に届いていた。

いったいボクは、いったいボクたちは、いったい人は、どうして争ったり、そして、傷つけあって、別れたりするんだろう・・・。それにどういう意味があるんだろうか。いや、いったい、出逢うってことはどういうことなんだろうか・・・また、そんな、もう何十回も何百回も繰り返し繰り返し思い悩んだことに、悩まされるなんて・・・。いったい歳を取るってことはどういうことなんだろうか。大木になって綺麗な花を咲かせるだけで、それだけのために・・・生きるってのは・・・。

春も哀し。夏も哀し。秋も哀し。冬も哀し。いつも哀し。人は哀し。

吉田城の桜

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