10年

2006年2月に田原にやって来て10年が過ぎた。

そうしてこのブログを書き始めて10年が過ぎた。あたりまえのことなんだけれど、10歳老いた。老いた、という表現を使うような年齢になった。

2006年2月、リーマンショックの2年半前、毎週毎週大型バス2台分の期間従業員が田原工場へ補充されていた。ボクはその頃「田原刑務所」と言われていたトヨタ自動車田原工場へ希望して赴任した。その前の田中和風寮と高岡工場での勤務での嫌な出来事と思い出があったからだ。

期間工物語

もうすでに解体されて整地され、きっと今頃は別の建造物がボクたちの記憶の墓場の上に建っているのだろうけれど、あの高層ビルは呪われていた。ボクはその記憶から出来るだけ遠い場所にいたいと思っていた。トヨタ自動車でなくてもよかったのだろうけれど、呪われた記憶を上書きしたかったし、2回目という条件の昇給とか赴任手当なんてものにも動かされた。

2006年の2月、豊川インターを降りて豊橋市内を抜け、三河湾大橋から蔵王山を見た時のあの悠遠な感覚。異国の遺跡を、ボクは感じていた。その感じは今も少しあって、蔵王山を見るたびに、なんだかいきなりタイムトリップする。ドロッとした記憶。上書き出来なかった記憶はさらに濃度を高めた。

10年。その濃縮された無濾過の記憶がこのブログの中にあって、ボクに残された唯一のものといえば、その記憶だけなのかもしれない。

出会いがあって、そうして別れがあって・・・。ボクはこうしてここにいて、相変わらず、胸の鼓動のように流れる日々を焦る思いで右左右左、歩いている。プラモデルのような街でぜんまい仕掛けの毎日を過ごしている。気が付けば10年、そうして終着点もそれほど遠くないところに見えている。

この10年、いったいなんだったんだろうか、なんて思う。パンのためだけに生きてきた日々だったのかもしれない。夢とか希望なんてもののためではなくて・・・。

そうしてそんな夢遊病者のような毎日で、ボクの精神の安定と、心の慰安は、こうして浮かんできたコトバをタイプすることだった。そうしてリアル無口なオジサンは、ネットの世界ではかなり饒舌になって、その孤独な日々の空間を埋めていったことを考えると、このブログがすべてだったのかもしれないと、思う。

今この時もそうなのだけれど・・・。

10年。一昔。
その風車が殺伐とした工場の風景に起伏をつけいて、ボクには火葬場の煙突を想像させるものでした。夕方、寮に帰るバスの中から見える夕陽を浴びた風車は、そこで何かを生産しているというよりも、モニュメントのようにそこにに佇んでいるだけのように思えます。

それを見ている無口な期間工の集団は、いったい何を思うのでしょうか。故郷に残してきた恋人のことでしょうか。親や兄弟、嫁や子供のことでしょうか。それは「別離」に関わることであり、その深重な思いや空気によって、多くの人がその風車が煙突に見えているのではないかと考えました。そして沈黙こそが精神的なバランスを保てる方法なのかもしれないと。

田原工場配属

三河湾大橋に登る朝日

さらば愛しき日々

5件のコメント

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    >名無しさんへ

    どうも。
    ボクも最初は「まあ、とりあえず次の就職まで」なんて考えていたのですが、なんだかズルズルとなってしまいました。

    結局なにもできずに、なにもせずにこれまたズルズルと今日に至る、ってな感じです。まあ、あとはいかにリタイヤするかということのほうが重要で・・・。

    もう結婚とか家庭とか、あるいは持ち家なんてものもほぼ興味なくて、コンパクトで身軽で安物人生(極楽通信)を目指しているんですけれど・・・。

    >テルさんへ

    どうも。4Sかあ。エア4Sなんてのを考えたことがあったけれど・・・。

    めでたいというか、なんだからズルズルと・・・。コメントも8669件ということで、これが8670件目かな、昔のを読み返すのが、まあ老後の趣味になるのかなあ、なんて思っています。

    派遣切りやリーマンの時はいろいろなところに取り上げられたり、取材なんかも受けたりで。

    今はほんと惰性で、って感じもする。

    今週から、忙しくなるのかな?

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    田原笠山さん、こんにちは。先週の4Sでの2日出勤を終えて今週からラインが稼働する予定です。どうなることやら…

    ブログ10周年、おめでとうございます。10年と言うと、長いですね。その頃私はまだ学生でした。あの頃は10年後にトヨタで期間工をやっているなんて夢にも思わなかったです。

    昨日は冬とは思えない気候でしたね。

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    2006年2月、懐かしいな〜

    前月に一年間の期間工生活を終え、地元に戻ったボクは「頑張らなきゃ」なんて思っていたのだけれど、思いとは裏腹に体は全く動こうとしなくて
    呆れ返りながらも「やっぱ、こんなもんか」
    なんて妙に納得していたな〜

    当時仲間内で「期間考」なんて言葉で、自分を奮い立たせようともしていたかな
    あれから10年も経つんだな〜

    特に何か、というわけじゃないのだけど、なんか懐かしくてコメントさせてもらいました

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    のなさん、こんにちは。
    雨かなあ?

    愛知、そうだなあ、パンを得る場所だけのようにも感じます。生活が、その工場と同じように殺風景ですし。

    家族や親せきなんてものは、時として邪魔になるんでしょうけれど、まあ、こうしていないと寂しくもあるかなあ。もう結婚式なんてものにもずいぶん長い間出席したこともないです。まあ、面倒ですけれど・・・。

    春が来たらきたで、なんだかなあ、って気持ちになりますね。

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     おはようございます。今朝起きて、近所を歩いてきました。梅が咲いてました。先日、お蔭様で、弟の結婚式を終えました。母は、刈谷の病院で、寝たきりの状態です。数ヵ月後に帰ってきます。田原さんにとって、愛知はどうでしたか?愛知在住ながら、特別、思い入れがない気がします。(傲慢ですかね…。)工場は、確かに殺風景ですね。   私も、不安定な身分と心のままです。これからどうなることやら…。お体、くれぐれも、大切になさりますように。 

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