安全と安心、Googleタクシーについて考えたこと

軽井沢スキーバス転落事故や冷凍カツ不正転売事件は、ボクたちに安全とか安心なんてことについて考える機会を与えてくれた。安全にはコストが必要だという極々当たり前のことをボクたちは忘れてしまっていて、利便性や価格だけの選択肢の思考回路に単純化されてしまっている。

UberやLyftなどのライドシェアも同じで、いくら便利だからといって、いくら廉価だからといって、一般の運転手と一般車がほんとうに安全とか安心を担保できるかというと、とても疑問だ。ライドシェアによる犯罪、例えば昨年夏に起きた寝屋川少年少女殺害事件などを考えるときに、少年少女や女性を拉致してしまうことも簡単にできてしまうのではないか。

「ドライバーの評価システムで安全が・・・」なんて言うけれど、乗車前の安全なんてのは全く分からないわけで、それに犯罪者が冷静に犯行後の評価なんて考えるわけがないので、そういった事後評価システムなんてのはなんの担保にもならない。

ボクのように考える人が多いはずだ。バスの事故で「やっぱり規制は必要だ」と思った人も多いはずだ。Uberはこの国では普及しない。

Uberが普及しないたったひとつの理由〜タクシー規制について(1)〜 – 道中の点検
スキーバス転落事故で考えたこと – 道中の点検

Googleもライドシェア事業を始めるらしい。Uberは普及しなくてもGoogleならば普及するかもしれない。だって、ボクたちの生活はかなりGoogleに依存しているからだ。タクシー業界だって、スマホアプリで使っている地図はGoogleマップだ。場所もGoogle先生に尋ねる。先生はピンポイントで教えてくれる。それが先生の本業だからだ。

そしてボクたちは先生から情報を得るだけではなくて、ボクたち自身の情報を与えている。ボクがどこにいて何を求めているかを先生はお見通しだ。いくらプライベートブラウズしたって見て見ぬふりをしているだけだ。それは先生だけではなくて、AmazonだってAppleだってYahoo!だって同じで、便利さと引換えに、無料だと思っている情報と引換えに、ボクたちのことを教えている。

インフラ化していてもうボクたちは先生なしでは、密林なしでは、リンゴなしでは、生きてゆけないのだ。

そこがUberとはまったく違うところだ。ボクたちは使わざるをえなくなるかもしれない。それはもっと便利になるとか、使わないと不都合が発生するなんて理由からだ。もう縁を切れない関係だからだ。というか、ボクたちの関係はいつの間にか逆転してしまっている。

Googleタクシー、ライドシェア、あるいはAppleカーなんてのが、ボクたちの端末に真っ先に表示される。Appから「全国タクシー配車」なんて競合配車アプリが消えるかもしれない。

便利と言えば便利だ。そうして自動運転での運行が安全性も担保する。運賃も格段に下がるはずだ。だって本業じゃないのだし。それよりなにより、ボクたちの依存度はさらに高まり、アンドロイド化する。

Google、Uberと競合する自動運転車を使ったサービスを間もなく開始? – Autoblog 日本版

 

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