晩夏の風

Yちゃんがいなくなった後、空いていた部屋にも新しい人が昨日から入ったらしくて、灯りが点いていたので、ボクは少し過去に戻ったような感じになった。8月6日に退寮して北の国に帰っていったYちゃんの部屋は、やっと新しい主を迎えて、また新しい思い出が作られるんだろうと思うと、その思い出がどんどん積み重なっているのが期間工の住む寮で、それは地層のようなものなんだろうと考えたりした。


岬の灯台という感じですが、風車です。姫島が遠くに見える。

不思議なもので、わずか半年間だったのだけれど、「Yちゃんいるかなあ~」なんて見ていた部屋の窓を、Yちゃんがいなくなっても見る癖がとれないでいたのだけれど、やっとボクの知らない人がそこに住むことによって、その癖も地層のひとつ下の層に埋もれてしまうのだろうし、それを見るためには表面を掘り起こさないといけないのだろうし、そうしているうちに、どんどん忘れ去られてしまうのだろうと思っている。それが思い出というものであるにしても寂しい気分になる。

想い出が多いと、それだけ悲しみも多いのだろうけれど、想い出というのは人との出会いだろうし、悲しみというのは人との別れなんだろうけれど、それぐらいのことはわかっているのだけれど、どうもボクたちってのは、簡単に出会いや別れを繰り返していてように思ったりもする。その簡単さってのが、期間工ということなのかもしれないとも思う。人間関係も期間限定だったりするのかもしれないと。

そういえば学生の頃の友人たちは、社会人になって同じ夢を追いかけた同士とも言える人たちは、今はもう年に一回の年賀状だけだったり、それもなかったり…。結局それぐらいの仲だったのだろうか。それよりなにより、ボク自身が、実は、人間関係を面倒くさく思っているのだろうと考えている。

ボクはまだ田原にいて、トヨタの期間従業員として働いているのだけれど、Yちゃんにとって田原は、もう過去のことなのかもしれないね。

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