祭りのあと

蕭瑟。田原まつりから一週間が過ぎてしまいましたが、囃子や山車、餅投げなどの余韻みたいなものがまだ少し残っていて、そうしたものの記憶が次々と頭の中を攪拌する二直明けの午後5時、曇天の空も落ち込んだ気持ちをさらに穴の中へ引きずり込もうとするような感じの夜の前です。

その祭りにも行かなかった人も多いようで、やはり祭りのあとのさみしさを感じたくなかったのだろうと思ったり、家族や故郷を連想させるような行事自体を避けているのかもしれないと考えたり、ひとりで祭りを見るなんてことも退屈だろうし、なんてみんな考えたのかもしれないですね。

ボクも名古屋の友人が来なければ、きっと、日曜日には寮にいて寝ているのか起きているのか分からない時間を過したのだろうと思います。祭りや花火をひとりさみしそうに見ている、なんてのはキムタクのようなカッコイイ男がする分にはいいのですが、ボクのようにくたびれた男の場合だと警察に通報されかねないですから…:)

花火大会も雨の中、それも時々横殴りの雨の中、中止されることもなく行なわれました。田原寮からも見えましたし、1階や2階に住む人も4階5階部分にあるベランダ(非常口)に出ると寮越しに花火を見ることが出来たと思います。

でも、そうやって見ている人も少なかったようです。閉められたカーテンは開くこともなく、6畳一間の部屋の中ではテレビを見たりゲームをしたりして、休日の終わるさみしさを紛らわしていたのかもしれないですね。次の日が早番の人たちにとっては、花火の音が「睡眠妨害だ」なんて思った人も何人かはいたと思います。

そして何人かは、ちょうど日曜日のその時間は家族に電話をすることになっていて、遠く聞こえる花火の音と、子供の声が重なって、切ない電話になったことだろうと思っています。恋人に電話して「来年はどこか花火大会に行けるといいね」なんて人もいたのでしょうね。

ボクはいつもの場所に行って、見え隠れする花火に「やっぱり丸見えよりは、これぐらいの感じのほうが粋ってもんだろう」なんて思ったり、「どうせなら見えないほうが諦めがつくってもんだ」なんて呟いたりしたんだけれど…。

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