WAR

今朝のエントリー「レジェンド」で、ボブ・マーリィを引用したのは、同じタイトルのアルバムがあって、きっとサントリーも「伝説」ということよりも、ボブ・マーリィのことを強く意識したんじゃないかと思って書いてみました。

太平寺の和尚は20年ぶりのボクを憶えているはずもなく、ただ「あの頃」のボクたちのことを少し話しただけだったのだけれど、あの頃と同じ部屋の縁側でお茶を点ててくれたのだ。和尚はといえばあの頃と同じで、それはボクの記憶にちゃんと残っていたのだけれど、まわりの風景は、あの場所を除いては、少し違っていたような、20年目の夏だったのだ。
「WAR」という曲は、ハイレ・セラシエのカルフォルニアでの演説を使ったものです。

Until the philosophy which hold one race superior
And another
Inferior
Is finally
And permanently
Discredited
And abandoned –
Everywhere is war –
Me say war.

これが一番目の歌詞です。
最近では、ダルフールの民族浄化というジェノサイドも行なわれていたりして、差別による争いというのは、その優劣を説いている限りなくならないのでしょうね。
この国だと人種間民族間という感じがうまく理解できないと思ったりしていますが、同じ国の中に何十もの部族がいて、そして言葉や文化がある世界では、ボクたちの感じているpatriotismとか同郷愛とかいうものとは違った感覚での一体感があって、場所というよりも血というものの繋がりを深く意識していて(そのために浄化なんてことになるのだろうし)、民族というよりは、もっと動物本能に持っている種の保存といった、排他的な感情の部分が大きいのだろうと思っています。ボクたちの持っている家族とか兄弟とかの血の繋がりよりも、もっと深重なもの、のように思います。
レジェンドですね。エチオピアにはいろいろ伝説が多くて、そのあたりも、サントリーは考えているのかなあって、思ったり。でも、もう行くこともないのかなあ、なんてことも思ったり、そしてそうなると、もう会えない人のなんと多いことか、なんて思ったり。そんな日曜日の夜も更けていくのだけれど。

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