長幼の序

【溶けゆく日本人】人間関係の不全 消える「長幼の序」|生活|生活・健康|Sankei WEB
長幼の序-。「年長者と年少者の間にある一定の秩序」のことだ。経験・知識を積んだ先輩、年長者を敬うことは、長い間、日本で大切にされてきた儒教に基づく道徳心だが、「美しい国」作りを標榜(ひょうぼう)する自民党の“本丸”からも、過去の遺物のごとく葬り去られようとしている。

組織の中では長幼の序という秩序で人間関係や組織の和が保たれているということもあるだろうし、年功序列やその賃金体系ってのはその長幼の序を会社組織の中で表現しているものでしょうから。
しかしそんな道徳心も実力主義という新しい秩序によって駆逐されようと、あるいはすでに駆逐されているのですが、実力主義とは別に、そして組織内での年功とは別に、年長者を敬うというのが「日本の文化」だと、ボクも思います。
トヨタの工場での経験も知識も先輩ではなくて、年齢的に先輩、年長者であるということだけの期間従業員のかたも多いのですが、トヨタの社員の方はそんな人生の先輩に対しての礼節を重んじていると思います。
組の期間従業員の中でボクが一番の年上なのですが、社員の方は、それはCLやGLも例外ではなくて、きちんとボクに挨拶をしてくれますし、敬語で話しかけます。CLやGLのほうが年上なのですが、やはり年齢的に若くないということからだろうと、そして若い社員への手本としてそういう振る舞いをしているのだろうと思います。
田原工場では(厳密にはボクのいる課ということになるのでしょうが)、ボクには(他の期間従業員がどう感じているか分からないでが)きちんと長幼の序が守られていると感じます。ボクも、工場での後輩として、誰にでも挨拶をしますし、いくら年下とはいえ、やはり敬語を使うべきときは使っています。

親が子を棄てる。教師が生徒に敬語を使う。隣人は知らぬが顔の見えない人との“会話”に夢中になる…。人と人の“距離”が目に見える形で変質している。距離を見失った結果、時に「個」に逃げ、また過度に密着し、あるいは上下関係を否定する日本人がいる。

その距離こそが大切だろうと思います。年下の先輩/年上の後輩ということになりますから、どちらともが敬わないといけないと思っています。
中にはバスの中で先輩社員を「出来ないヤツ」なんて大声で話している人もいるのですが、仕事が出来る出来ないとは別に「あいつ」呼ばわりするのはいかがなものかと思うのです。工場でも人生でも先輩である人に対しては、長幼の序を重んじることは大切だと思いますし、人を判断するのを「仕事ができるかどうか」だけですることは恥ずべき行為だと思うのです。人間的にもどうか、ということもあるのでしょうが、あったとしても公共の場ですから…。
そのことは社員の方にも言えることで、社員しかいないからとかではなくて、本人がいないのならば悪口陰口は慎むべきだと思うのですよ。本人の前では悪口もけっこうですけれど…。
年齢、役職、経験、などいろいろな「序」があると思うのですが、それを意識することは大切なことだと思うし、そして一歩ひける余裕、そんな態度こそが日本人の姿だと思うのですが…。そしてそのことを意識すると、挨拶なんてのも「しましょう」とポスターにしなくても出来るはずだと思ったり…。
ま、それでも、ボクはボクの回りでは出来ていると思っているし、そういう意味では仕事はキツイけれど、気持ちは楽だと感じています。じゃないと、辞めてるかもなあ。

2件のコメント

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    おはようございます。
    う~ん、ま、いろいろいるでしょうし、いますが…。ボクのまわり限定ってことで…。特に期間工から社員になった人は、「デキル」人が多いですね。
    made in Japanじゃなくなるから…ちょっと違ってくるかもしれないですね。

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    あんたは優しいし、人間もできてるが、トヨタの社員にくず・どあほもいる。
    日本から離れてトヨタがどうなるのか、みものだ。

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