ホームレスの朝とか
そのホームレスを初めて見たのは月曜日の朝だった。
月曜日は燃えるゴミの日で、夜勤明けのボクは少し急いでアパートに戻っていた。
若い、たぶん35歳ぐらいの、茶髪のその男は信号待ちで交差点にいたのだけれど、信号のずっと向こうのほう(たぶん空だろうけれど)を見て笑っていた。笑っていたというか、ボクには「笑っているように見えた」と書くのが正確なのだけれど、信号が変わってもなお立ち止まっていて笑っていた。
たっぷりの荷物、それは旅行をするためのものでもなければ、ゴミ集積場に捨てるためのものでもなくて、たぶんその男の全財産で、煮炊きする道具も、寝るための寝具も、その男の「生」に直結する、例えばペースメーカーのような、それほど重要なものなのだろうけれど、その信号近くのゴミ集積場にあったとしても誰も気にも留めないだろうぐらい、ドス黒く汚れていた。
ホームレスの朝。
ここいらでは見かけないホームレスだった。
どこからか流れ着いたのかもしれないと思った。あるいは新人ホームレスなのかもしれないと思った。その茶髪の鮮やかさが「新人」と思わせた理由なのだけれど、もしかしたら長いホームレス生活でそういう色に変化したのかもしれないとも考えた。
ボクは、とても悪いことのように思ったのだけれど、しばらくその男を見ていた。その若さがボクには尋常ではないように感じられた。若さもだけれど端正な顔立ち、それはアイドル、あるいはホストと言っても信じてしまうほどのものだったのだけれど、その顔立ちが、その男の現状とは似合わないように感じていた。「そんなことをしなくても…」と、きっと10人が10人思うに違いなかった。それほどイケメンだったのだ。そのような外見がボクにはとても異常に思えた。
なにかのきっかけで、なにかが微妙に変化したんだろうと思う。
それが原因でホームレスになったのか、あるいは、ホームレスという過酷な生活環境が彼に永遠の微笑みを与えたのかもしれないと思った。ボクが見ている間中、彼は笑っていた。
ゴミの日にはホームレスも忙しい。自転車を持っている人たちは、どうやって積むのだろうかというぐらいの荷物を荷台だけではなくて、サドルの上にもハンドルの左右にはもちろん上にも積んでいる。自転車を持っていない彼のようなホームレスは両手両肩を使って財産を運ぶ。
寒くなると歩くのかもしれない。だからホームレスが増えたように感じるのかもしれない。暖かい日はどこか木陰でジッと身を潜めていてもいいけれど、寒さが厳しくなると歩いて、そして歩いて暖を取るしか方法はないのだろうから…。冬の日にはホームレスは忙しい、のかもしれない。
ボクたちがいくら哀しみの中にいても、まだ救いはあって、まだ全てを喪失してはいない。実はなにも失くしてはいないのかもしれない。何かを失くしたとしても、その代わりのものを獲得していることがある。不幸だと思ったとしても、完全なる不幸なんてものは、ほとんどの人は経験しない。どこかにまだ余裕があったりする。例えば住むところがあったりする。例えば、このブログを見ているということだけで、何かが「ある」。
ゼロになるのは、実は難しいことだったりする。
100にならないにしても、増減しながらプラスの位置にいる。例えば別離ばかりがあるわけではない。分かれた後には必ず出会いがある。痛んだあとには回復がある。そういうことを「朝が来ない夜はない」なんて言う。「七転び八起き」なんて言ったりもする。
案外、かなりプラスの位置にいて「不幸だ」と言う人のほうが多い。「哀しい」という人が多い。ポケットの中の幸せは捨てきれないで「ダメだ」という人も多い。そのポケットの中にあるのが「プライド」だったりもするし「過去」だったりもする。
ホームレス、ということは、全てを捨ててしまった人たちのことを言うのだろうと思った。住む家がないという簡単なことではなくて、そういった過去とか自己とか一切合切を捨て去ってしまうことを言うのだろうと思った。
その若いホームレスも、
一年前には期間工としてどこかの寮に住んで忙しい日々を送っていたのかもしれないと思った。期間工や派遣社員として住んでいる街を離れてしまう、もうその時点で多くのひとはかなりのものを捨ててしまっている。街もだけれど、その街と付随している人間関係や過去のことを捨てて移り住んだ人も多い。
その時点で、例えばあの裸踊りをした時点で、ホームレスに近い位置にいたのかもしれない。いや、いたのだ。期間工や派遣が実はセーフティネットとして機能していたのだから、その網が破れたら、結果は分かっていたのだ。この街に流れ着いたホームレスの多くは、あのラインの延長線上に、オートマティックに、ホームレスというところに、運ばれたのだろうと思う。そしてホームレスの朝をむかえる。
ホームレス製造工場。
実は、ボクたちは自動車を造っていたのではなくて、ホームレスを増産していたのだ。車がラインに乗って動いていたのではなくて、ボクたちのほうがラインに乗っていたのだ。車がボク達を生産したいたのだ。大量生産されていたのは、ホームレスを頂点とする貧困層だったのだ。それが戦後から続いた大量生産大量消費ということだったのだ。生産消費されていたのは、製品ではなくて国民だったのだ。それが経済の正体だったのだ。製品がボクたちを生産消費したいたのだ。
そうして、ボクたちは製品のために生きている。自転車で、あるいは、両手両肩で運びきれないほどの製品のために生きている。
そう思った。
田原市駅前2007年冬


持出禁止がこのプログとコメントに違和感を感じると言っているが、同感だ!
それに対して、このプログ主の馬鹿は多くの人は異議あり!と言わないだと!
そりゃそうだわ!
お前に賛同するのはこの日本にとってはゴミ同様のクズばかりやでな。
ゴミのプログにゴミが違和感を感じる訳がねえだろ!
持出禁止が正論やな。
オイ!クズのタクシードライバー!
いや、九州の恥さらしの旅人(笑)!
早く東海地方から立ち去れ!
いや、訂正!
もう少し居てくれ!クズ!
今、お前を探してる最中だからよ!
待ってろ!
必ずお前を探しだして、批判を受けているトヨタ自動車田原工場の皆さんに写真付きで公開してやるからよ!
必ず見つけてやるからな。
「車がボク達を生産していたのだ。」
あぁ、そうだったのか…、と納得がいきました。
どんどんお金やモノを消費して、それでもまだ幸せになれないと不思議に感じていたのは、お金やモノを使って自分自身を消費していたからなのでしょうね。
田原笠山さんのこのブログは、何時も読ませていただいています。
かつて(もう20年前のことです)トヨタの正社員だった私は、自分にはあそこで働く能力が無いことに気付いて、今はうんと小さな会社で働いています。
あのライン(ラインではなく技術部でしたが…同じ事です)から降りた私は、そのことを後悔せずに生きている幸せ者なのかもしれません。
北国のはるこさん、こんにちは。
お久しぶりですね。
「どうするべき」なんでしょうか?
それはボクにも分かりません。区役所に相談に行く人もそんなにいないと思います。
多くは、見て見ぬふりですし、それも正解のように思います。どうすれば良いのか分からない、と思いつつ見て見ぬふりしか出来ない人も覆いと思います。
本人達も「どうするべきか」と迷っているのだろうと思います。
そういったことが相互にあって、結局はどうすることもできない状態の関係になっているのだろうと思います。
区役所に相談に行ったとしても、どうなったのでしょうか…。
そういった基本的なネットがないのもこの国の現状でしょうね。個人が引き受けてしまうには重い問題ですしね。
ボクも、ただ見ているだけですし…。
2~3年前、私の住む街の比較的大きなスーパーの2Fベンチに夕方から店の閉まる24時近くまで、若い男性のホームレスの人が寝ていたりうつむいてすわっていました。そのスーパーと区役所とは廊下で繋がっていて区の職員たちも見かけたはずですが、何カ月もそんな日が続いていました。「この子を我が家に連れて帰ろう…住む所さえあれば働くことができるかもしれないし・・・でも、夫は嫌がるだろう・・・万一、生活費欲しさで強盗事件になったとしたら・・・市役所の福祉の人は保護してくれないの?」と見かけるたびに逡巡していました。まだ26~7歳位普通の顔立ちで真面目そうな青年。迷って迷って夢にも出る日もありましたが、結局何一つせず通り過ぎた私です。春の訪れとともに見かけなくなったのですが、ベンチの前を通り過ぎるたび思い出します。私は、どうすべきだったのでしょう?せめて区役所に相談には行くべきですね
こんにちは。
少し冬らしくなったのかな。
>やすおさんへ
そうですね、女性も増えていますね。
そのうちストリートチルドレンもいたるところに居たりするようになるかもしれませんね。親子のホームレスとかも。それほどギリギリで生きている人が増えているということなんですけれど。
>御巣鷹さんへ
「乞食」と言われる人たちがいた時代もあったのですが、それはホームレスとはちょっと違っていたようですしね。
たぶん、そういう印象を持つのが普通なのでしょうね。例えば死んでいたとしても、通り過ぎるのかもしれないし。
「涙」ということに対しては、たぶん、情緒というものが希薄になってきているのだろうと思います。「悲しみ」の部分もですし、「怒り」の部分もです。感情がノッペラとなっている。そういった部分も「草食化」しているのかもしれません。
溶けないで積もる、という可能性のほうが大きいかな。
>持出禁止さんへ
人それぞれですから、違和感があるのが当然ですし、それが自然でしょうね。
ただ、多くの人はそれをいちいち「異議アリ」とワンワン鳴かないだけです。
>名無しさんへ
ポリテクに行く人はけっこう「計画的」でしょうね。そういう方法を知っていますからね。
>月ノヒカリさんへ
ほとんどの人が黙って通り過ぎるだけでしょうね。ボクもそうです。ただ、いろいろ考えますけれど。
それは多分、彼らとボクの位置がそんなに遠くないからだろうと思いますけれど。
ほとんどの人は、ラインに乗せられて生きているのだろうと思います。逆にホームレスの人たちはラインを降りた人たちなのでしょうね。
「自殺」もラインから降ることなのかもしれません。いろいろなものを断ち切る。ホームレスのひとたちは、その生命を断ち切れないでいるのかもしれませんね。ほんとうは断ち切りたいのだけれど・・・。
田原笠山さんの書かれる文章は、いつも考えさせられたり、共感したりしながら、読ませていただいてます。
ホームレスの人を街で見かけることはありますが、黙って通り過ぎることしかできないです。私には。
自分が失ったものはあっても、まだ残されているものもあって、あらたに得たものもある。それなら、今持っているものを大切にしたい、と感じました。
「自分がラインに乗せられている」という感覚は私も持っていて、でも自分には体温もあるし、血も流れている。
だったら、自分の持ってる「体温」を信じたい。
そんなことを考えました。
無計画な人だけでしょ。ラインからホームレスになるのは。
就職する気もないのにポリテクで失業保険ただもらいしようとする輩とかさ。
このブログやコメントを読んで非常に違和感を感じるのは自分がひねくれ者だからでしょうか?
僕は出身が田舎なので、大阪や名古屋なんかの駅でホームレスの方々を初めて見た時は何とも言えませんでした。
そこには彼らの生活があり、一筋縄に辛いや悲しいや苦しいなんて言えないし、経緯も実態も何も知らない僕にはホントに言葉になりませんでした。
それよりも、初めて見た時に隣にまるで何もない様に通り過ぎる人々の方が印象的でした。
(誰もが泣いてる人の前を気付かずに通り過ぎて行く)
悲しみは雪の様に、ただ何もかもが最後には溶けていくのでしょうか。
僕も若いホームレスを、それも女性のホームレスをみました。都内某所で。 こんなになるまで誰にも頼る事が出来なかったんだろうなぁ と思うと何か自分も悲しくなってきて(T_T) ホームレス悲話ですね。