第二田原寮のこと

トヨタ自動車田原工場にはじめて赴任した時に住んでいたのは第二田原寮だった。2006年のこと。このブログのその年に書かれている寮での出来事や写真の多くは第二田原寮のことだ。
5年近く前のことなんだけれど、今でもバスで三河湾大橋を渡ってたどり着いた時のことを思い出す時がある。あの頃は大型バス2台分もの“同期”がいた。それほどトヨタ自動車も忙しかった。自動車バブルの頃、LSの発売やらレクサスの国内展開などで田原工場は、というよりも田原の街全体が賑わっていた。週末、休日のぐるりんバスは満員だった。タクシーを呼んでも1時間なんて待たされていた。
「2寮」とか「2田原」なんて言われていているその第二田原寮の4階だったか5階には和室の会議室みたいなものがあって、そこでその週の入寮者十数人が入寮説明を受けた。。もう連絡も途絶えてしまったのだけれど、そこにはYちゃんもいたし、Y君もいた。ボクたちは新しい何かが始まる期待感なんてものはほとんどなくて、とても窮屈な不安や緊張が身体全体を支配していた。居心地の良い空間ではなかった。
そんな不安や緊張は満了期間の6か月をカウントダウンすることで解放されたし、それを、例えば「半年の辛抱」なんて口に出す人もいた。まるで残りの刑期をカレンダーに刻む受刑者のような風景でもあったし、定年の日を楽しみにしている老人のようでもあった。そう感じた。
後ろ向きの希望、あるいは絶望の希望のようであった。とりあえずそれまでの失業期間や貧困生活から解放されることの安堵感で相殺されているように思った。
懐かしい、というよりも、なんだかそんな嫌な感じが蘇る。
ボクの物語のプロローグだった。ボクがここにいる理由、というか、あの日がなければ、ボクはきっと今ここにはいないはずだから…。
いろいろなことがあった、というように多くの人は表現するのだろうけれど、ボクたち(「たち」と書くのだけれど)期間従業員にはそれほどの「いろいろなこと」はなくて、寮と工場の往復の毎日と、週末の買い出し、なんて決まりきったルーティンのようなことしかなかったように思う。
単調に時間は流れ、月日は流れた。それはまるでライン作業のようでもあったし、やっぱり受刑者のようでもあった。例えば、一直の時のバス停前の沈黙の行列の記憶がそうだ。第二食堂での「餌」の補給がそうだ。
寮の階段を降りて下駄箱に行く。外に出てバス停に向かう。工場に着くと食堂に向かう。食べる。清算する。そして職場に向かう。休憩所のベンチに座る。その間ほとんど黙っていたし、笑うことなどなかった。それは作業中も同じで、帰る時も同じだった。
ふと、なんのために働いていたのだろうか、とこうして書いている今思っている。「いい車を作るために」…。まさか…。
いや今日は、そんな2寮の思い出を書くはずではなかった。
その2寮は、今、アイシン・エイ・ダブリュが借り上げてアイシン寮になっている。トヨタ自動車の従業員は減ったのだけれど、関連企業の従業員は増えているということなのだろうか。それとも空き部屋を多くすると部屋も痛むし治安も悪いしということで借りてもらっているのか。
期間従業員や派遣社員の募集は確かに多くなっているように感じる。トヨタ自動車本体の募集は見当たらないのだけれど、アイシンやトヨタ織機、明海の部品工場は「月収28万円以上可」なんて広告を出して募っている。湖西市のアスモも募集していて、広告だけ見ると少し景気が上向いているのかなあ、なんて感じる。
それでも、あの頃のように大型バス2台分の期間従業員が毎週毎週赴任するなんてことはないのだろうと思う。そして週末にはぐるりんバスや渥美線が満員になるようなことも、ミマスに行列が出来るなんてこともないのだろうと思う。
ああ、そういえば2寮のバタフライ男はどうしたんだろうか。同期の人たちもそうだけれど、同じ組の人たちは元気なんだろうか。もうたぶん、2寮に住むことも期間従業員として田原工場に行くこともないのだろうけれど、ボクたち(「たち」と書くのだけれど)の物語のひとつの舞台で、その物語は今も進行中で、少し頑張ってハッピーエンドに出来ればなれば良いのになあ、なんて考えている。
期間従業員や派遣社員としてトヨタのあのラインや寮で暮らしてきたという経験は、思うのだけれれど、それはひとつの貴重な体験だろうし、その体験をしたボクたちも、そして周りの人もそのこと(貴重だということ)をもっと認識すべきだ、なんて思っている。
第二田原寮から蔵王山
その第二田原寮から蔵王山

4件のコメント

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    イガラシさん、こんにちは。
    堤工場ですか。ボクも最初は高岡工場でした。
    田原のほうが本社地区よりは少しだけ涼しいようです。海辺で風があるからなのでしょうか。
    確かにいろいろ勉強にはなりますよね。そういう意味で期間従業員経験という価値も高まると良いのですけれどね。

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    元シニアさん、こんにちは。
    お久しぶりですね。
    豊橋は少し変化があるようですが、田原はどうなんだろう?あまり変化がないようですが…。
    人口の割りには、なんだか田舎臭くもあります。豊橋駅界隈は開発されているのですが、周りは相変わらずなのかなあ。花園商店街のアーケードもなくなったし…。
    今度こっちへ来る機会があれば、ぜひご一報下さい。少しぐらいはサービスしますから。

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    久しぶりに書き込みします。
    早いもので、満了してから三年ちょい・・・。
    今年夏に、田原工場で一緒に働いてた人と結婚祝いを兼ねて久々に名古屋で会いました。三分の一くらい、田原工場の話でしたでしょうか。
    当時の精神的気楽さが、お互いに今は全くないのは笑えましたが・・・
    今の状況を思うと、いろいろと考えさせられます。当時、自分の満了後でも就職難と思ってましたが、ここまで沈むとは・・・
    伊良湖フェリーが廃止になるかも・・・という話があったので、帰りに伊勢神宮に行き、鳥羽から田原経由で豊橋から家に戻りました。
    結局、継続することになったようですね。
    新豊橋駅が新しくなっていて、びっくりです。昔の面影が全くない・・・
    田原市内をまわる時間がなかったので、ちょっとまわりたかったです。

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    自分は堤工場で半年やりました。ブログの内容どうりで色々勉強させてもらった。夏に赴任したので 名古屋の夏は暑かったな…。

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