2年
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身語意之所生
一切我今皆懺悔
四国遍路から2年になる。
あれからボクはかなりいろいろなことがあって、そうして多くのものを捨ててきた。(それはその2年間の間に拾ってきたものの数倍もの質量なのだろうと思う)
人生は「楽ありゃ苦もあるさ」というその苦楽が同じぐらいに存在するものでもないように思う。苦ばかりが多い人のほうが圧倒的に多くて、その苦の遥か向こうに見える一筋の光を探すことが「楽」のようでもある。要するに希望とか夢なんてことを考えることが出来るかどうか、ということ一点に尽きると思う。その能力のある人が「幸せ」なのだろうと思う。
就職活動をしているときに、ある企業の面接で将来の夢を聞かれた。「いつか日本中を歩いてみたいです」と答えたら怒られた。面接官は「そんなことよりも、家族や家庭とかあるでしょう」と言った。
それはある意味正しい幸福論だろうとも思ったし、一般的にはそういうことのほうが大人の回答なのだろうとも思った。そして多くの人はそのために生きているのかもしれない。いや、それが人類としても生物としてもコレクトアンサーなのだろうと思う。
それに「日本中を歩いてみたい」ということは、とても安易なことのようにも感じる。それよりは「家を建てて…」なんてことのほうが難しい。「車を買って」ということのほうが「日本中」よりも難しいようでもある。ということを考えると、夢が夢でないようにも思い始めた。それは「老後の過ごし方」の答えのようでもあるなあ、なんて思う…。
きっと、というか、やっぱり希望とか夢なんてのは「ちょっと難しいかなあ」と思うぐらいでないとダメなのかもしれない。ま、そんなことは今さらな話なんだけれど、生きる、というか、働く上で必要なことは、やっぱり「日本中」よりも「家や家庭」なのかもしれないと思った。家族を養うというかなりの「苦」の向こうに「楽」が見えるのだろうと思ったのだ。
そう思ったところで、ボクが今からその家族を持とうなんてことは思わない。それどころかいろいろな欲望に対して不感症になっているのだ。相変わらず六畳のアパートに住んで、車も持たない生活をしている。ほとんど消費というものをしない。消費しないのだからそこそこの給料で満足する。
要するにヤドカリみたいなもんで、自分の生活の柄に貝の殻を合わせるようなもの、なのかもしれないと思っている。
消費するのも面倒くさいし、人との付き合いなんてのはなおさら面倒くさい。出来れば引籠って生きていたいなんて思ったりもする。
ああ、ダメだダメだ。そんなことを書くためにパソコンを久しぶりに立ち上げたのではない。そんなことを書くためではなくて、そろそろまた再開するかなあ、なんて思っていることと、メールやコメントを頂いた方にこの場をかりてお礼を言うためだった。
ありがとうございました。
そして、まあ、また少しずつ書けるといいのだけれど…。
>山頭火さんへ
そうですね。
ま、その時は実際そう思っていたもので。というか、今もそうなんですが…。
>御巣鷹さんへ
結局こちらに来ることはなかったのですね。
ま、それはそれで縁がなかったということかな。
そんな価値はなんの役にも立たないですよ。役に立たないというか、役に立つようにするかしないかという生きる上での技術的な問題かもしれませんけれど。
今年も早く終わって、10年ぐらいがあっという間に過ぎれば良いのに、なんて思っています。
>今井Kさんへ
そうですね。
ま、なんというか、時間に余裕がないと…。時間もですけれど気持ちに余裕がないとこうしてパソコンの前に座るなんてことも出来ないですもんね。
また、追い詰められた精神状態になるかもしれませんけれど…。
やぁどおも。
うちももっと身の回りのこととか書きたいのですが
月日の経つ感覚の加速っぷりに呆然としてます。
面接官の人は、日本中を歩く事の何が(そんなこと)なのでしょうね。
家庭を築いても、不景気でどこへも行けず皆で家に籠もるのは嫌です。
1人での長い歩き旅や、大半の人が知る事なく死んでいく異国の地での経験や価値は、その人にしか分からないと思います。
お久しぶりです。
笠山さんにとって今年は、色んな変化があったと思います。
今年もあっという間に終わるのでしょうね。
楽しい事や嬉しい事は2、3割ぐらいしかない様に思えます。
僕はどうしても雨が嫌いで、晴れた日でも何も感じない日もあります。
少し難しいぐらいの希望なら、何かいい事あればいいなって思います。
面白い面接回答ですね
面白い面接回答ですね