蛇を売る

龍馬伝」を見た。
内容や演技、あるいは福山雅治さんについて、ということよりも、絵がとても綺麗だといつも思う。「思う」というよりも、いつも感心する。「テレビドラマって、あんなに綺麗なカメラワークだったっけ?」なんて聞いてみたくなる。今日の放送、岡田以蔵が逃げ回るシーンなんてのも、着物の間を上からのカメラアングルで捉えていたけれど、全体に暗い色の背景と人物に、反物の華やかな色が、立体的に空間を作り上げていたし、その空間の中で時間が押し縮められているようでもあり、やはり感動するシーンであった。
映像、というよりも、一枚一枚の画像というような感じ。うまく表現できないけれど、綺麗な写真の連続というか、そんな絵だと感じてしまう。やっぱり「テレビドラマって、あんなに綺麗だったっけ?」と…。
タイトル…。
川上弘美さんの小説で「蛇を踏む」というのがあるけれど、こうアスファルトやコンクリートばかりの街になると蛇を見ることもない。動物園でしか蛇をみたことがない子供もいるかもしれない。蛇をしらない人もいるかもしれない。
蛇を売る人がいた。
売る人がいるのだから買う人もいた、はずだ。買った蛇の用途はといえば、きっと「マムシ酒」なんてのを造るためだろうと思う。
その「マムシ酒」というのは、バイアグラなんてなかった少し前までは、滋養強壮・精力増進の効果があると言われて、多くの愛飲者がいたと思う。「赤まむし」なんてドリンク剤もあったぐらいだから(今もあるだろうけれど)、かなりの数のまむしが取引されていたに違いない。
まむしの他に青大将なんて種類の蛇も売買されていたのだろうか?ハブとかはどうなんだろうか?蛇皮の財布なんてのもあるぐらいだから、きっといろいろな蛇が取り扱われていたのだろうと思う。
肉を食べる、なんてことはなかったと思う。「正月には蛇のお雑煮を食べる習慣があるじゃんね」なんて聞いたことはないし、熊本なんかで「馬肉」が普通に売られているようにスーパーで「蛇肉」が売られているのを見たこともない。
「蛇肉」が売られているのを見たことないのだけれど、「蛇屋」はあった。ボクにとって、そのことはとても衝撃的なことだった。カルチャーショックと言っても良い。だって、肉は売られていなくても、そのまんまの蛇は売られていたのだから。
というか「蛇屋」なんてものを生まれてこのかた知らなかったのだ。蛇の需要は上記のようにあるということは知っていても、専門店があるなんて、それも飼育用のペットショップなんてお洒落なところではなくて「蛇屋」なんてまんまな名前であるなんて、ちょっと想像もしなかったのだ。
専門店があるほどの需要がこの豊橋にあったのだろうか?やっぱり蛇食の文化があったのだろうか。あるいは神事に蛇が使われていたのだろうか。蛇三線のような楽器がこの地方にあるのだろうか。それとも沖縄で使われている三線は豊橋産なのだろうか…。
謎は謎を呼ぶ…。
「蛇屋」で蛇を売っていたことは間違いないだろう。そしてドリンク剤などの滋養強壮剤の原料として需要があったことも確かだろう。それはそれとして、個人的な需要があったからこそ、看板を出して行燈を付けて「どうぞいらっしゃい」と、居酒屋や花屋、雑貨屋や本屋のような店構えで、「ちょっと角の蛇屋まで」なんて気軽さ蛇を買える状況がある、というのがどうも不思議なのだ。
蛇がそれほど普通に売られているということは、とてもレアなケースだと思う?
とにかくボクにとって「蛇屋」なんてのは見るのも聞くのも初めてで、なんだかとてもドキドキしたのだけれど…。今はもう廃業しているようで、ガラス越しに見える店舗の中には、売り物の蛇を入れていたと思われる籠が数個あるだけで、蛇の姿は見えなかったけれど…。
今でもまむしの需要はあるのだけれど、まむし捕り職人もいなくなって、ほとんどが輸入品、それも冷凍物になってしまって、生蛇を扱う店はほとんど消えてしまった、というのが実情かもしれないね。
豊橋産まむしは、例えば大間産のまぐろみたいにブランドだったのかなあ。「そんなこと常識じゃん」なんて蛇通の人から言われるかもしれないね。望月蛇屋で生蛇が売られているのを見たかったもんだと思っている。まだどこかに蛇屋なんて専門店はあるのだろうか。ペットショップなんて飼育用のを売っているのではなくて、食用を販売しているところなんてもうないのかもしれないね。店が残っていることも珍しいかもしれない。蛇屋自体珍しいのだし…。
望月蛇屋
望月蛇屋

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