黒い雨

雨…。
お客様との会話もこの雨のことになる。それも放射能を含んでいないか、なんて内容になる。
「大丈夫かね」
「はい、きっと大丈夫ですよ」と答えるのだけれど、その「大丈夫」という根拠なんてものはない。若い人よりもお年寄りのほうが不安に感じているようだ。レベル7、チェルノブイリ、「この世の地獄」というニュアンスであの時ニュースは、ボクたちに伝えた。同じようなことが起ころうとしているとしても、なにかしらないけれど「大丈夫」だと思う。それはきっと距離的な安心感みたいなもの、そしてどこかで他人事だと思っているからかもしれない…。
「運転手さん、景気はいいかね」
「いいえ、さっぱりです」
「トヨタも稼働再開して少しは忙しくなるかもしれないね」
「ええ、そうなると良いんですが、日本製のものが売れなくなったりしませんかね」
「『放射能』という風評被害が日本製品につきまとうかもしれないね」
「車なんかにも?」
「そうだね、食べ物だけではなくて工業製品にも、観光客も激減するだろうし」
「……」
「工業製品に対しても放射能チェックを義務付けるかもしれないだろうし」
「Fukushimaが、ボクたちが感じているChernobylのように世界の人たちは感じているのかもしれませんね」
「きっとそうだろうね。日本人である我々は心のどこかで大丈夫だと思い込もうとしているのかもしれないしね」
「そうですね。被爆経験のある国民なのだけれど、放射能に対して危機感がないというか、恐怖感から遠ざかっているというか…」
「そうだね、被爆経験があるだけに、本当は原子力発電なんてものを拒絶してもよかったかもしれないね」
トヨタ自動車田原工場も今日から操業を再開した。大量生産大量消費という経済構造が原発を必要とした。一気にもとに戻すなんてことは不可能だ。泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロやカツオのように、生産や消費を停めるということは日本という国の死を意味する。
復興のため、と消費を煽る。確かに消費こそこの国の活力なのだけれど、なにかどうも嫌な感じがする。それは、例えば美味しいものを腹いっぱい食べるためにジムに通っている人たちの歪さみたいな、そんな感じだったりする。
この世は、ずいぶん危うい場所にあって、一寸先は闇という状況にあるとしても、「大丈夫」という楽観主義者が多い。それは、きっと「大丈夫」という刷り込みをさせられているのかもしれないし、進化し続けたヒトのDNAがそうさせているのかもしれないと、思った。
ボクはいつものように仕事を終えると、いつものように帰路についた。いつものような街並みがそこにはあった。
豊川稲荷にて

1件のコメント

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    >>復興のため、と消費を煽る。確かに消費こそこの国の
    >>活力なのだけれど、なにかどうも嫌な感じがする。
    >>それは、例えば美味しいものを腹いっぱい食べるため
    >>にジムに通っている人たちの歪さみたいな、そんな
    >>感じだったりする。
    しかし、悲しいかな、そういうことをしないと、復興税という
    財源が捻出できないんだろうと思う。
    しかし、一番危惧するのは何でも震災復興のためと大義名分を
    付けて我々に必要以上の負荷が来ないかということですよ。
    無論、復興は大事なのは分かりますが...

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